カエサル暗殺とは? わかりやすく解説

カエサル暗殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 01:45 UTC 版)

マルクス・ユニウス・ブルトゥス」の記事における「カエサル暗殺」の解説

内戦後独裁色を日増しに強めていくカエサル行動元老院内では共和制終焉危惧する声が聞かれ何時しか暗殺謀議巡らされ始めたブルトゥス当初暗殺謀議には加わっていなかったが、周囲から暗殺に加わる様に促された。暗殺首謀者であるカッシウス・ロンギヌスが祖先ルキウス・ブルトゥス銅像前に手紙を置き、ユニウス氏族使命思い起こさせたと言われているが、この有名な逸話ウィリアム・シェイクスピアによる創作見られている。カッシウス・ディオによれば「王の如きカエサル振る舞いに、元老院議員として率直に反感抱いたのだろう」と結論している。妻ポルキア・カトニスも父の仇であるカエサル暗殺に賛同し唯一の女性参加者となった暗殺実行移され3月15日カエサル正妻カルプルニアは悪夢見たという理由で夫が議場へ向かうのを止めており、暗殺計画露呈した様に思われた。しかしブルトゥス諦めずカエサル元老院待ち続け、もうカエサルは来ないのではないか疑われても議場に留まっていた。そして遂にカエサル周囲の引止め振り払って元老院訪れると、フブリウス・セルウィリウス・カスカ・ロングスによれば最初に短剣一撃加えたという。カエサル辛うじて致命傷免れたが、続いて次々と議員向かってくる様子事態察して、自らの体をトーガに覆う仕草見せた数十人の議員達によってカエサル四方から滅多切りにされ、その凄まじさは議員同士手を切りあってしまうほどであったという。

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カエサル暗殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:53 UTC 版)

アウグストゥス」の記事における「カエサル暗殺」の解説

紀元前44年3月15日カエサルマルクス・ユニウス・ブルトゥスガイウス・カッシウス・ロンギヌスらに暗殺英語版)される。この時はカエサル指示で、トゥリヌスギリシア西海岸にて遊学であったが、急遽ローマへ帰還する。その途中ギリシアからほど遠くない南部イタリアブルンディシウム近郊のリピアエでカエサル自分後継者指名していたことを知る。これにより、わずか18歳無名青年に過ぎなかったトゥリヌスは、一躍有名になった。そして以後ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスGaius Julius Caesar Octavianus)を名乗ったようである。 ブルンディシウムカエサル配下軍団兵たちから温かい歓迎受けたオクタウィアヌスは、カエサル側近たちの協力得てカエサル遺志であるパルティアとの戦争遂行するため、カエサル集めた公的資金要求70セステルティウスもの資金ブルンディシウム集められた。そして元老院査察のもと、その資金軍団編成し東方派遣したとされているが、実情アントニウス中心とする元老院の反オクタウィアヌス派に対抗するための軍団編成していた。そして、また彼は、権限なしで東方属州からローマにわたるはずの税収収用した。 パルティアカエサルが戦うはずであった宿敵であり、この戦争ちらつかせることでオクタウィアヌスカエサル後継者としての支持集める。そしてローマへの帰還中、オクタウィアヌスのもとに様々な支持、とくにカンパニア在住カエサル配下退役兵から熱烈な支持を受ける。6月までに3,000退役兵が集合しオクタウィアヌス1人につき500デナリウス給付金配った。こうしてカエサル古参兵、側近とともにオクタウィアヌス勢力拡大し有力なカエサル後継者候補として政治表舞台躍り出た

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カエサル暗殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/04/29 14:38 UTC 版)

セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官)」の記事における「カエサル暗殺」の解説

後年カエサル独裁体制を築くと、ガルバ執政官コンスル任官反対された。紀元前44年ガルバブルトゥスカッシウスらのカエサル暗殺の陰謀参加した。この結果クィントゥス・ペディウスの法により断罪され処刑された。

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カエサル暗殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 14:44 UTC 版)

イードゥース・マルティアエ」の記事における「カエサル暗殺」の解説

今日では、アイズ・オブ・マーチ紀元前44年ユリウス・カエサル元老院議場にて刺殺され日付として知られている。ブルトゥスカッシウス率い60人もの共謀者がこの暗殺関与したプルタルコスによると、遅くともイードゥース・マルティアエまでにカエサルに危険が訪れるだろうと予言者警告した。彼が暗殺されることになるポンペイウス劇場への道中カエサルはその予言者出会うと「イードゥース・マルティアエの日が来たな」と予言が当たらなかったことを化したが、予言者は「いかにも来ました、しかしまだ終わってはおりませぬ」と応えたという。この予言者カエサルやり取りウィリアム・シェイクスピア戯曲ジュリアス・シーザー』によってよく知られている 。ローマ伝記作家スエトニウスは、この予言者はスプリンナ(Spurinna)という名の臓卜師であると特定している。 カエサルの死は、内乱の一世紀終わり始まりであったカエサル死後争乱の末に、カエサル後継者オクタウィアヌスアウグストゥス)による権力掌握につながることになったアウグストゥス治世下活躍した詩人オウィディウスは、その詩『祭暦』において最高神祇官でもあったカエサル暗殺ウェスタの巫女への冒涜なぞらえて描写している。紀元前40年ペルシア戦い英語版)での勝利の後に行われたカエサル死後4周年の際には、ルキウス・アントニウスマルクス・アントニウスの弟)の下でオクタウィアヌスに歯向かった300名の元老院議員エクィテス処刑している。この処刑は、カエサル死に対す報復としてオクタウィアヌスがとった一連の行動一つであったスエトニウス歴史家カッシウス・ディオは、この虐殺イードゥース・マルティアエ神格化されカエサル祭壇行われたことに注目し宗教的な生贄みなしている。

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