後継者候補として
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「マルクス・クラウディウス・マルケッルス (アウグストゥスの甥)」の記事における「後継者候補として」の解説
権力を掌握したアウグストゥスにとってマルケッルスは唯一の男性の親族であり、第一の後継者候補として期待されていた。このことは、マルケッルスが若きオクタウィアヌスがユリウス・カエサルのヒスパニア行軍に従ったようにアウグストゥスに従い、カンタブリア戦争に同伴したことからも推測される。 マルケッルスは紀元前25年にアウグストゥスの娘ユリアと結婚し、アウグストゥスの婿となった。さらに紀元前23年には異例の若さで高級造営官(アエディリス・クルーリス)に就任し、9月にはアエディリスとしてローマ人の競技を開催し、ローマ市民の人気を博した。 このようにマルケッルスは前途を有望視されていたが、急病に倒れ、紀元前23年の10月に19歳で没した。 この後アウグストゥスは、マルケッルスと後継者としての競争を行っていた自身の盟友マルクス・ウィプサニウス・アグリッパに娘ユリアを嫁がせ、その息子ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルを後継者候補として養子に迎えた。 アウグストゥスはマルケッルスを悼み、紀元前13年に完成した劇場に「マルケッルス劇場」の名を与えている。
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