後継者争いと伊集院頼久の乱
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「伊集院煕久」の記事における「後継者争いと伊集院頼久の乱」の解説
伊集院氏8代当主。7代頼久の子。島津宗家7代の元久が急死すると、父頼久の画策で元久の後継者となり名を為久と改める。しかし葬儀中に元久の弟、久豊が乱入。元久の位牌を奪い去り葬儀を行い、久豊が島津宗家8代当主となる。 応永20年(1413年)、この後継者争いが原因で頼久と久豊の間で争いが勃発(伊集院頼久の乱)。応永24年(1417年)、両者の和解が成立すると頼久より家督を譲られ9代当主となる。
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