後継者・門人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 07:16 UTC 版)
道牛は、最初の妻の森村某との間に二男一女をもうけたがみな早世し、後添いとなった山川キヨとの間に生まれた好門がその後を継いだ。好門の子・光顕は滝口武者に列し、正六位下長門守の官位を与えられた。さらに光顕の養子・光通は典薬寮に採用され、仁孝天皇の拝診を許された。光顕以後、伊良子家は二家(見道斎・千之堂)に系統が分かれるが、両家とも伊良子流外科を継承し、それぞれ光順・光信の時代に明治維新を迎えるまで、御典医として朝廷に仕えた。 また、道牛の下には患者だけでなく門人も多く集い、そのうちの一人・大和見水は、後に華岡青洲の師となる。つまり、青洲は道牛の孫弟子に相当する。
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