長門守とは? わかりやすく解説

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長門守

読み方:ながとのかみ

  1. 木村といふ姓の人をいふ隠語木村長門守重成より思ひつきたる洒落なり。
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長門国

(長門守 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 15:04 UTC 版)

長門国

-長門国
-山陽道
別称 長州(ちょうしゅう)
所属 山陽道
相当領域 山口県西半分
諸元
国力 中国
距離 遠国
5郡40郷
国内主要施設
長門国府 山口県下関市
長門国分寺 山口県下関市
長門国分尼寺 (推定)山口県下関市
一宮 住吉神社(山口県下関市)
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長門国(ながとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。

「長門」の名称と由来

長門は、古くは「穴門(あなと)」と呼ばれ、「穴戸」と書くこともあった。『日本書紀』によれば、大化6年(650年)穴戸の国司草壁醜経)が白雉を献上した。天智4年(665年)には長門国が初見される。この間に改められた。 穴門とは海峡(関門海峡)を指しており、日本神話にも「穴戸神」の名が見える。古墳時代に成立した穴門国造の領域と阿武国造の領域をあわせて、7世紀に穴戸国が設置された。7世紀後半に長門国に改称した。

領域

明治維新の直前の領域は、下関市萩市長門市美祢市山陽小野田市阿武郡および山口市の一部(旧阿東町)、宇部市の大部分(あすとぴあ・今村北・今村南・亀浦三丁目・亀浦四丁目・床波・西岐波・東岐波を除く)にあたる。

沿革

国絵図 慶長・正保・元禄・天保

古代

海を隔てて朝鮮半島と向かい合う位置に在るので、古代には北部九州に準じて外交・防衛上重視された。

665年天智天皇3年)には、筑紫国大野城基肄城と並んで、長門国に名称不明の城が築かれた[要出典]675年天武天皇4年)には、畿内陸奥国と長門国を除いて、国司大山[要曖昧さ回避]位以下を任じることが定められた[要出典]。陸奥国と長門国が特別扱いされたのは、辺境の要地にあるためで、同じく辺要の九州は、筑紫大宰を上に持っていた。こうして、一時は他国より格上とされた長門国ではあるが、後に周防総領が置かれるとその管轄下に入ったと考えられる[要出典]

この時代の重要な遺跡としては次のようなものがある。

  1. 須恵器窯跡 (日置(へき)町峠山) - 古墳時代後期から奈良時代
  2. 嘉万中村遺跡 - 弥生時代の遺跡。鉄滓(てっさい)が発掘される
  3. 仙崎半島の糘(すくも)塚古墳群 - 馬具・武器・壺鐙(あぶみ)4個
  4. 西ノ木横穴墓
  5. 森ケ岨(もりがすわ)横穴墓
  6. 向津具(むかつく)半島の玉屋敷山林・油谷(ゆや) - 大陸伝来の有柄細型銅剣
  7. 本油谷古墳 - 壺鐙1個
  8. 湯免遺跡 - 弥生時代の高地性集落遺跡。1979年発掘調査
  9. 宮の馬場遺跡 (北長門) - 卑弥呼の時代の村落遺跡
  10. 西久田遺跡 - 鼓(つつみ)型器台2個
  11. 土井ヶ浜遺跡 (下関市豊北町) - 弥生人骨大量出土。「英雄」(石の鏃11本、鮫の歯の鏃2本が突き刺さっている)や「鵜を抱く女」など
  12. 綾羅木(あやらぎ)郷遺跡 - 綾羅木川周辺
  13. 仁馬山古墳 - 古墳時代前期
  14. 下関郊外の丘陵 - 箱式石棺、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)、管玉(くだたま)、蓋弓帽(がいきゅうぼう)、1968年発掘

一説によると、下関市豊田湖湖畔に日女尊(ヒメコ・ヒミコ)の冬の居城があり、更に安徳天皇西市陵墓参考地が日女尊の墓とされる[要出典](安徳天皇の陵墓は下関市赤間神宮横にある。明治期に正式に認定されたが、安徳天皇が葬られた場所という伝承があるため陵墓参考地に指定されている土地は当該土地を含め10か所以上あるという)。

奈良時代の長門国は、銅を多量に産した。国司直営の銅山から採掘された銅は、都に送られて東大寺の大仏の原料になった[要出典]

平安時代

また貨幣の原料としても重宝され、818年弘仁9年)3月7日に国司が廃止されて鋳銭使と改められ、長門の行政・貨幣鋳造を司った。鋳銭使は制度上京官である鋳銭司を引き継いだものでありながら、国司が持つ行政機能も統合するという特殊な機関であり、長門の租税と産銅を貨幣鋳造に振り向ける仕組みであったと考えられている。しかし、この時期、長門国内では飢饉や凶作で税収が不振になったことに加え、周防との国境にある長登銅山以外の銅山が枯渇し始めていた。こうした状況を受けて、825年(天長2年)により都に近い周防国吉敷郡に鋳銭司を再建して長登銅山から直接材料を搬入することになり、長門から鋳銭組織が撤退したことを受けて国司が再設置されることになった[1]。鋳銭所の所在地は下関市長府逢坂・安養寺に比定されている[要出典]

源氏平氏が権力争いを展開した時代の末期、平氏の知行国であった中で厚東氏、豊田氏の両氏が勢力を伸ばし、1185年元暦2年)には壇ノ浦の戦いの舞台ともなった。

鎌倉時代

1276年建治2年)、鎌倉幕府元寇に対処するため長門探題が置かれた。

室町・戦国時代

周防国山口を本拠地とする大内氏守護職となり守護代として鷲頭氏内藤氏が務めた。この大内氏は九州のうち豊前国筑前国までを勢力圏としていたが、後に安芸国毛利氏に取って代わられる。

江戸時代

藩庁を置いた長州藩の所領であった。寛永年間には馬関北前船が寄港地として繁栄し、幕末には明治維新への拠点となった。

近世以降の沿革

国内の施設

国府

国府豊浦郡にあった。現在の下関市長府宮ノ内町の忌宮神社の近辺と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。

長府(長門国府)と呼ばれる前は、穴門の豊浦宮(古事記、日本書紀に記載)と呼ばれていた。

国分寺・国分尼寺

長門国分寺跡
下関市南部町。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社3座1社・小社2座2社の計5座3社が記載されている。大社1社は名神大社である。長門国の式内社一覧を参照。
  • 豊浦郡 住吉坐荒御魂神社三座(現 住吉神社) (下関市一の宮) - 名神大社。
  • 豊浦郡 忌宮神社 (下関市長府宮ノ内町)
  • 豊浦郡 杜屋神社 (下関市豊浦町)
総社一宮以下
  • 総社 惣社宮 - 忌宮神社境外摂社・守宮司神社(下関市長府惣社町)の境内にある。
  • 一宮 住吉神社
  • 二宮 忌宮神社
  • 三宮 龍王神社(乳母屋神社、下関市大字吉見下)

地域

  • 阿武郡(8郷)
  • 見島郡(『和名抄』も長門国の郡数合計5としながらこの郡を加えたままにしている。)

合計40郷(『和名抄』)

江戸時代の藩

  • 長州藩(萩藩、毛利藩)、毛利家(36.9万石)
  • 長府藩(長州藩支藩、6万石→5万石→3.8万石→4.7万石→5万石)
  • 清末藩(長府藩支藩、1万石)

人物

国司

守護

鎌倉幕府

建武政権

  • 1333年? - 「長門国守護職次第」によれば「輔大納言」なる人物が守護となったという。二条師基とする説と万里小路宣房とする説とがある。

室町幕府

  • 1334年~1348年 - 厚東武実 (守護代 富永弥六入道)
  • 1348年~1349年 - 厚東武村
  • 1349年~1351年 - 長井高広
  • 1351年~1353年 - 厚東武直
  • 1354年~1358年 - 厚東義武
  • 1358年~1374年 - 大内弘世 (守護代 森入道良恵、宮川入道良覚、杉又次郎入道智静、黒川貞信、陶弘綱)
  • 1375年~1399年 - 大内義弘 (守護代 杉重貞/重直、儀安、範安、)
  • 1400年~1401年 - 大内弘茂 (守護代 陶高長)
  • 1401年~1431年 - 大内盛見 (守護代 陶弘長、盛長、盛政、内藤盛貞)
  • 1431年~? - 大内持盛 (守護代 陶盛政)
  • 1432年~1441年 - 大内持世 (守護代 鷲頭盛範
  • 1441年~1465年 - 大内教弘 (守護代 鷲頭盛範、内藤有貞、盛世)
  • 1465年~1495年 - 大内政弘 (守護代 内藤盛世、武盛、弘矩
  • 1495年~1528年 - 大内義興 (守護代 内藤弘矩、弘春興盛
  • 1528年~1551年 - 大内義隆 (守護代 内藤興盛)
  • 1562年~1563年 - 毛利隆元

戦国大名

武家官位としての長門守

長門国の主な合戦

脚注

注釈

  1. ^ または1256年康元元年)以前から[2]
  2. ^ 今井尭他 1984では1280年(弘安3年)〜?。

出典

  1. ^ 黒羽亮太「周防鋳銭司成立の歴史的背景」本郷真紹(監修)山本崇・毛利憲一(編)『日本古代の国家・王権と宗教』法蔵館、2024年、327ー353頁。ISBN 978-4-8318-6281-5
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 今井尭他 1984, p. 284, §鎌倉幕府守護一覧.

参考文献

関連項目



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