長府藩
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長府藩(ちょうふはん)は、現在の山口県下関市長府に江戸時代に存在した藩のひとつである。長州藩の支藩で、長門府中藩(ながとふちゅうはん)ともいう。須原屋武鑑の居城・在所表記では当初は長門長府で、宝暦年中より長門府中に改称されている。藩庁は櫛崎城(長府城、長府陣屋)に置かれた。
- ^ 『毛利家文書』天正19年(1591年)旧暦3月13日付(『大日本古文書 家わけ文書第8 毛利家文書之三』所収)
- ^ 慶長5年の検地による石高。慶長10年(1605年)の毛利家御前帳にも同様の石高が記載。
- ^ 慶長18年(1613年)、検地では53万9千石余を打ち出したが、山代地方(現岩国市錦町・本郷町)では一揆も起きていることや、広島藩主福島正則49万8000石とのつりあいなどを考慮して、幕府は、検地石高の7割である36万9千石を表高として公認した
- ^ 『長府藩預義士一件』
- ^ 『名門水野家の復活 御曹司と婿養子が紡いだ100年』p.22-23
- ^ 「長府毛利十四代記」(下関市立長府博物館)
- ^ 高林寺「清末藩は宗藩の長州藩の体制に組み込まれ、同一行動をとった」旨の案内板の説明あり
- ^ “豊功神社のご案内”. 下関市公式観光サイト. 2022年4月2日閲覧。
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