毛利元就とは? わかりやすく解説

もうり‐もとなり【毛利元就】


毛利元就

作者大栗丹後

収載図書戦国武将まんだら秘本三十六人
出版社春陽堂書店
刊行年月1999.8
シリーズ名春陽文庫


毛利元就

作者菊池寛

収載図書菊池仁が選ぶ歴史ノベル
出版社学習研究社
刊行年月2007.2
シリーズ名中学生のためのショート・ストーリーズ


毛利元就

作者海音寺潮五郎

収載図書武将列伝戦国揺籃
出版社文藝春秋
刊行年月2008.4
シリーズ名文春文庫


毛利元就

読み方:モウリモトナリ(mourimotonari)

作者 菊池寛

初出 昭和5年

ジャンル 小説


毛利元就

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/07 11:51 UTC 版)

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将・中国地方の戦国大名毛利氏の第12代当主。安芸吉田荘[注釈 1]国人領主毛利弘元の次男。毛利氏の本姓大江氏[注釈 2]家紋は一文字三星紋。  




注釈

  1. ^ 現在の広島県広島県安芸高田市吉田町。
  2. ^ 毛利氏は大江広元が四男・毛利季光に相模国毛利荘を譲ったことに由来し、季光を祖として、元就は広元の雲孫の玄孫にあたる。
  3. ^ 元就は「能や芸や慰事、何もかも要らず。ただただ武略、計略、調略こそ肝要にて候」「謀多きは勝ち、少なきは負け候」と孫子を踏まえて自らの信条を書き綴っている[11]
  4. ^ アルコール中毒や飲酒の害毒のこと酒毒』 - コトバンク
  5. ^
    「我々は五歳にて母に離れ候、十歳にて父に離れ候、十一歳の時にて兄〔興元〕京都へ上られ候。誠に了簡なく、みなしご〔孤児〕に罷り成り」 — 毛利元就、毛利家文書 第420号
    「多治比を我々に弘元お譲り候へども、井上中務丞〔元盛〕渡し候わで押領候……」 — 毛利元就、毛利家文書 第420号
    と述懐している[13]
  6. ^ 「たじひ」だが地元では「たんぴ」と読む。[要出典]
  7. ^ この時連署状に署名した15名の重臣は、署名順に福原広俊中村元明坂広秀渡辺勝粟屋元秀赤川元助(元保)井上就在井上元盛赤川就秀飯田元親井上元貞井上元吉井上元兼桂元澄志道広良
  8. ^ この家督相続について、元就は初め辞退したという話が元就自身の日記[19]に記されているが、この日記は連署状を受け取った日時が現存する書状と違い、また日記といってもこの時の3日分しか存在しない史料であるため、疑問がもたれている[20]
  9. ^ これを元就の謀略であると伝える軍記もあるが、尼子氏が、統率力強化のために自発的に行ったものと考えられている。詳しくは新宮党の項目参照。
  10. ^ この戦いは日本三大奇襲作戦の1つとされるが、従来の通説は陰徳太平記など、後世に編纂された不確かな軍記物語によって構築されたもので、実際にどのような戦いが行われたかは不透明な部分が多い。
  11. ^ しかし、大友の立場からすれば、同じく毛利の侵攻に悩まされ危機的な状況に陥り、龍造寺氏や島津氏の勢力伸長を抑える事ができなかった。
  12. ^ 多門坊宗秀が6月14日に厳島神社棚守房顕へ宛てた書状には「昨日十三日より大殿様以ての外の御虫気(腹痛)に付て、公私此の取り乱しに何事も成らず候」と記されており、毛利家中が混乱を極めた様子が窺われる[36]
  13. ^ 甲陽軍鑑』にも、武田信玄の軍師山本勘助が「源義光公の時代以来、この世に戦巧者といえば楠木正成を除いて、他には毛利元就しかおりません」と評した逸話があるが、これに関しては創作の可能性が高い。
  14. ^ 「当分五ヶ国十ヶ国御手に入れ候は、時の御仕合せにて候(我々が5ヶ国10ヶ国を手に入れられたのは時の運であり、これ以上望むべきではない)」と元就がこぼしていたことに触れている[48]
  15. ^ 家臣の志道広良に宛てたとされる自筆書状では、内容の要点に関する部分が韻を踏むかのように記されており、視覚的にも効果的な記述とされる。
  16. ^ 元就を基準とすると、時計回りに毛利元就、吉川元春、阿曽沼広秀、毛利隆元、宍戸隆家、天野元定、天野隆誠、出羽元祐、天野隆重、小早川隆景、平賀広相、熊谷信直の12名。
  17. ^ この「傘連判状」の解釈には異論も存在する。元就が時計の十二時の最も目立つ位置に署名していること、この申し合わせが毛利家に伝わっており、国衆が元就に提出したと見られること、恩賞は一般に主人が部下に与えるものだが、この中の平賀氏は「御恩賞は決して忘れはしません」と書かれた書状が残っている等の理由から、傘連判は多分に形式的なもので、実質的に国衆と家中の間に差はなかったとする意見もある[52]
  18. ^ こうした二元的な主従関係の複雑さから、元就没後の織田氏との戦いでは軍がまとまらず、常に後手に回る醜態を晒した。また関ヶ原以前の毛利氏では分国法が編纂されず、代わりに当主の下に官僚組織を形成することで人的に対応する方針を採った。
  19. ^ 陸奥守は毛利家の祖先である大江広元が就いていた官職である。
  20. ^ 毛利元就の自筆が題字として採用されたため、スタッフの一人として毛利元就自身がクレジットされている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 時山弥八編 1916, p. 75.
  2. ^ a b c d e f 渡辺 1984, p. 648.
  3. ^ a b 阪本 1994.
  4. ^ a b 閥閲録』巻76「村上権右衛門」。
  5. ^ a b c 時山弥八編 1916, p. 76.
  6. ^ a b c d 時山弥八編 1916, p. 77.
  7. ^ a b 時山弥八編 1916, p. 78.
  8. ^ a b c 時山弥八編 1916, p. 79.
  9. ^ a b 時山弥八編 1916, p. 80.
  10. ^ 時山弥八編 1916, p. 81.
  11. ^ 『毛利家文書』第413号、嫡男・隆元宛の三子教訓状追伸文。
  12. ^ 池亨「元就の領国拡張と支配」(河合正治編『毛利元就のすべて』新人物往来社、1986年)51頁
  13. ^ a b 『毛利家文書』第420号 弘治4年(1558年)8月付 毛利隆元宛て毛利元就書状写
  14. ^ 『毛利家文書』第405号 弘治3年(1557年11月25日付 毛利元就自筆書状(いわゆる「三子教訓状」)の第12条。
  15. ^ 河合 1984, p. 104.
  16. ^ 河合 1984, p. 105.
  17. ^ a b 河合 1984, p. 112.
  18. ^ 『毛利家文書』第248号、大永3年(1523年)7月25日付、福原広俊外十四名連署状。
  19. ^ 『毛利家文書』第246号、毛利元就郡山入城日記。
  20. ^ 山室 1995.
  21. ^ 『毛利家文書』第250号、毛利元就発句。
  22. ^ 馬部隆弘「細川晴元に対する交渉と取次」『大阪大谷大学歴史文化研究』第17号、2017年。/所収: 『戦国期細川権力の研究』吉川弘文館、2018年、466-476頁。ISBN 978-4-642-02950-6 
  23. ^ 木下聡 著「若狭武田氏の研究史とその系譜・動向」、木下聡 編 『若狭武田氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世西国武士の研究 第四巻〉、2016年。ISBN 978-4-86403-192-9 
  24. ^ 藤木 1976.
  25. ^ 光成準治 2016, pp. 4–5.
  26. ^ 光成準治 2016, pp. 26–29.
  27. ^ 光成準治 2016, p. 49.
  28. ^ a b 光成準治 2016, p. 51.
  29. ^ 光成準治 2016, p. 107.
  30. ^ a b 光成準治 2016, pp. 78–80.
  31. ^ a b c d 渡辺 1984, p. 628.
  32. ^ a b 宮本 1993a.
  33. ^ a b c 宮本 1993b
  34. ^ a b c d 渡辺 1984, p. 629.
  35. ^ 渡辺 1984, p. 630.
  36. ^ a b 渡辺 1984, p. 630-631.
  37. ^ a b 渡辺 1984, p. 632.
  38. ^ 渡辺 1984, p. 638.
  39. ^ a b c 渡辺 1984, p. 639.
  40. ^ 渡辺 1984, p. 638-39.
  41. ^ 渡辺 1984, p. 639-640.
  42. ^ a b 渡辺 1984, p. 642.
  43. ^ a b 渡辺 1984, p. 643.
  44. ^ 渡辺 1984, p. 643-645.
  45. ^ 渡辺 1984, p. 645.
  46. ^ 渡辺 1984, p. 645-647.
  47. ^ a b c 渡辺 1984, p. 647.
  48. ^ 吉川家文書 第917号、吉川広家卿自筆覚書
  49. ^ 舘鼻誠 2006.
  50. ^ 目で見る 毛利家あれこれ 〜毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし〜 第421回(毛利博物館館長代理 柴原直樹) - 地域情報新聞ほっぷ(2018年11月23日号)
  51. ^ 宮本 2002, pp. 121–123.
  52. ^ 鴨川達夫 2011, pp. 69–76.
  53. ^ 河合 1984, p. 145.
  54. ^ 宮本 1978.
  55. ^ 宮本 1974a.
  56. ^ 宮本 1974b.
  57. ^ 宮本 1974c.
  58. ^ 宮本 1975.
  59. ^ 田端泰子「戦国期女性の役割分担」 『日本中世女性史論』塙書房、1994年、91頁。 
  60. ^ 郡山城観光パンフレット「国指定史跡毛利氏城跡 郡山城」(発行:安芸高田市未来創造事業 歴史・伝統文化を活用した地域活性化実行委員会) - 郡山城趾観光ルート(時刻表付き)[リンク切れ] (安芸高田市)



毛利元就

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実況パワフルプロ野球2011」の記事における「毛利元就」の解説

老人外見計略では「三本の矢」を披露する容易く3本矢をへし折ってしまう。

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毛利元就

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殿といっしょ」の記事における「毛利元就」の解説

毛利家当主で、毛利三兄弟父親1巻以降全く出番が無い。

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毛利元就

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サムライディフェンダー」の記事における「毛利元就」の解説

辺り飛び移りながら矢を放つ計略神速三矢」は3本の矢素早く連射する。

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毛利元就(もうり もとなり)

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センゴク」の記事における「毛利元就(もうり もとなり)」の解説

通称陸奥守毛利家先々代当主羽柴軍の中国侵攻時には他界しているため回想という形で登場

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毛利元就

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戦国無双3」の記事における「毛利元就」の解説

吉田郡山城の戦いから始まる。陶晴賢山中鹿介戦い中国地方制する史実よりのストーリー織田軍との戦いが始まるまでは元就以外の無双武将はほとんど登場せず、敵も味方中国地方一般武将達が活躍する

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毛利元就(もうり・もとなり)

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ダブルクロス・リプレイ・ジパング」の記事における「毛利元就(もうり・もとなり)」の解説

安芸国現在の広島県西部)を支配した戦国大名信長とは、史実において弘治2年1556年)の忍原崩れによって失った石見銀山権益を巡って対立していた(信長尼子氏支援)。

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