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毛利元恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 03:59 UTC 版)

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毛利元恒

毛利 元恒(もうり もとつね、1890年明治23年)7月20日[1] - 1966年昭和41年)7月28日[1][2])は、大正・昭和期の実業家政治家華族貴族院子爵議員

経歴

子爵毛利元忠の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1914年1月29日に子爵を襲爵した[1][3][4]

東京府立第四中学校を修了[2]1925年小野田セメント製造取締役となる[2]。以後、三岐鉄道監査役、藤田合名会社顧問などを務めた[2][3]

1930年9月、貴族院子爵議員に選出され[5]研究会に所属して活動し、1939年7月まで2期在任した[2]

親族

  • 妻:愛子(内藤政潔長女)[1]
  • 長男:元茂[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻、727-728頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』58頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録』第14版 下、モ4頁。
  4. ^ 『官報』第450号、大正3年1月30日。
  5. ^ 『官報』第1126号、昭和5年9月29日。

参考文献

  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1911年。
日本の爵位
先代:
毛利元忠
子爵
清末毛利家第2代
1914年 - 1947年
次代:
華族制度廃止


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