毛利房裕とは? わかりやすく解説

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毛利房裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 03:10 UTC 版)

毛利 房裕(もうり ふさみち、宝暦9年3月15日1759年4月12日[1] - 文化9年4月2日1812年5月12日))は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の11代当主。父は阿川毛利就貞。母は繁沢利充の娘。養父は毛利包詮。養子に毛利房謙通称は峯松槌、筑後。

生涯

長州藩士繁沢就貞(後の阿川毛利就貞)の次男として生まれる。初名は礼行、のち長州藩主毛利斉房偏諱を受け房直と改名する。享和4年(1804年7月26日毛利包詮の遺跡を相続して吉敷領主となる(同年4月19日には父・就貞が死去しているが、房裕自身はその跡を継がず、代わりに房嘉が養子となって家督を継いでいる)。翌文化2年(1805年)、家臣の学者・服部伝厳による建議を裁可、服部に学頭に命じ、士族子弟の教育のために郷校「憲章館」を設立した。憲章館からは、幕末に成瀬仁蔵らの人材を輩出した。

文化9年(1812年)4月2日没。享年54。家督は養子の房謙が相続した。

脚注

  1. ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.80。

参考文献

  • 山口市史
  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」



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