毛利広包とは? わかりやすく解説

毛利広包

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 15:34 UTC 版)

毛利 広包(もうり ひろかね、元禄元年8月4日1688年8月29日[1] - 元文2年4月23日1737年5月22日))は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の5代当主。

父は毛利就直。兄は毛利広政。正室は益田就賢の娘。継室は福原広俊養女(福原俊応の娘)。子は毛利元直、於茂佐(堅田元武室)ら。通称は清三郎、伊豆。

生涯

元禄元年(1688年)、一門家老・毛利就直の五男として生まれる。兄の広政が父の実家右田毛利家を相続したため、吉敷家の嫡男となり、宝永7年(1710年)に家督を相続した。兄・広政同様、藩主毛利吉広より偏諱の授与を受けて広包と名乗る。以後、吉広・吉元宗広の3代の藩主に仕え、国許留守居役、加判役(家老)を務めた。享保4年(1719年)、朝鮮通信使来朝の際に接待役を務める。享保14年(1729年)、吉元の世子・毛利維広の江戸城登城の供をして将軍徳川吉宗に拝謁する(維広は吉宗の1字を受けて宗広と改名)。

元文2年(1737年)4月23日死去。享年50。家督は嫡男の元直が相続した。

脚注

  1. ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.78。

参考文献

  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」




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