長府藩とは? わかりやすく解説

長府藩 (ちょうふはん)

江戸時代萩藩置かれた、毛利一門[もうりいちもん]がおさめる独立した小さな藩(支藩[しはん])の1つです。現在の下関市豊浦町豊北町一部菊川町豊田町一部にあたります。長府藩の一部1653年清末藩[きよすえはん]として独立してます。


長府藩

読み方:チョウフハン(choufuhan)

長州藩支藩

別名 豊浦藩府中藩


長府藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 02:13 UTC 版)

長府藩(ちょうふはん)は、現在の山口県下関市長府江戸時代に存在したのひとつである。長州藩支藩で、長門府中藩(ながとふちゅうはん)ともいう。須原屋武鑑の居城・在所表記では当初は長門長府で、宝暦年中より長門府中に改称されている。藩庁は櫛崎城(長府城、長府陣屋)に置かれた。


  1. ^ 神社合祀により豊功社を忌宮神社境内から移して、それまであった櫛崎・松崎・宮崎の各神社を合祀し、現在の豊功神社となる。
  1. ^ 『毛利家文書』天正19年(1591年)旧暦3月13日付(『大日本古文書 家わけ文書第8 毛利家文書之三』所収)
  2. ^ 慶長5年の検地による石高。慶長10年(1605年)の毛利家御前帳にも同様の石高が記載。
  3. ^ 慶長18年(1613年)、検地では53万9千石余を打ち出したが、山代地方(現岩国市錦町本郷町)では一揆も起きていることや、広島藩福島正則49万8000石とのつりあいなどを考慮して、幕府は、検地石高の7割である36万9千石を表高として公認した
  4. ^ 『長府藩預義士一件』
  5. ^ 『名門水野家の復活 御曹司と婿養子が紡いだ100年』p.22-23
  6. ^ 「長府毛利十四代記」(下関市立長府博物館)
  7. ^ 高林寺「清末藩は宗藩の長州藩の体制に組み込まれ、同一行動をとった」旨の案内板の説明あり
  8. ^ 豊功神社のご案内”. 下関市公式観光サイト. 2022年4月2日閲覧。


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