一関藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:23 UTC 版)
一関藩(いちのせきはん)は、江戸時代の藩の一つ。陸奥磐井郡一関(現在の岩手県一関市)に藩主居館を置いた。石高は3万石。この地に陣屋を置いた大名家は、いずれも仙台藩伊達家の内分分知の分家に当たる一関伊達家と田村家の2家である。前者は11年で改易・廃藩となったが、後者は180年余り続いて明治維新を迎えた。以下、後者の田村家一関藩を主として記述する。
- ^ a b c d e 大島 2006, p. 10.
- ^ a b 大島 2006, p. 18.
- ^ a b c d e 大島 2006, p. 19.
- ^ a b c d 大島 2006, p. 20.
- ^ a b 大島 2006, p. 21.
- ^ 大島 2006, p. 22.
- ^ a b c d 大島 2006, p. 12.
- ^ 大島 2006, p. 13.
- ^ a b 大島 2006, p. 14.
- ^ 大島 2006, p. 15.
- ^ 徳富蘇峰『近世日本国民史 桜田事変』
- ^ 「一関城下絵図」
- ^ 「やぐらの広場」説明パネル(昭和61年「花と緑のモデル地区」指定により整備・一関市)
- ^ 「江戸切絵図 芝愛宕下絵図(一部)尾張屋版」(国立国会図書館)
- ^ 長矩の遺言が田村家により不明となったため、芝居などの創作だが人口に膾炙した「風誘う」の句が刻まれている。
- ^ 「田村家家伝文書」(一関市博物館)
- ^ 一関藩『内匠頭御預かり一件』
- ^ 「大慈山 祥雲寺 ご案内図」(一関市祥雲寺)
- ^ 環二通りの建設工事による(2011年、東京都)
- ^ 『徳川実紀』『田村家家伝文書』など
- ^ 「田村家文書」より「物成高調べ」(天保二年から安政三年まで)
- ^ 嘉永四年の年貢大豆が一千五百五石余。同「物成高調べ」(嘉永四年)
- ^ https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/18,24403,148,402,html 豊吉之墓(岩手県指定文化財)
- ^ 「滝沢村百姓持高表(安政4(1857)年8月)」・一関市博物館ほか
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