伊達綱村
伊達綱村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 08:07 UTC 版)
伊達 綱村(だて つなむら)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。仙台藩4代藩主。伊達氏20代当主。3代藩主・伊達綱宗の長男。官位は従四位上・左近衛権中将、陸奥守、贈従三位。「塩釜の恩人」とされている[2]。
注釈
- ^ 伊達氏の通字である「宗」と組み合わせて「綱宗」とすると父と同名になるのを避けたものとみられる。「基」や「村」の字は祖先(伊達家6代当主基宗や伊達家2代当主宗村)の名前にちなんだものである。
- ^ 同様に織田家藩邸のある通りも避けている。
- ^ 綱村以降、大年寺は歴代藩主(九代周宗と十一代斉義を除く)の墓所となっている。ただし、明治維新後に伊達氏は仏葬から神葬に転換している。
出典
- ^ 『伊達綱村』 - コトバンク
- ^ “「顕彰パネル」贈る 実行委、市内全小中学校へ 塩釜 /宮城”. 毎日新聞 (2019年2月20日). 2020年10月22日閲覧。
- ^ 『伊達治家記録』(だてじけきろく)より「肯山公治家記録」
- ^ 山本博文「赤穂事件と四十六士 (敗者の日本史)」(吉川弘文社、2013年)
- ^ 衰退しつつあった塩竈の復興に尽力した綱村の恩徳に報いるため村民が願い、塩竈の松巌山東園禅寺(東園寺)には位牌が安置されている。毎年6月19日には肯山講の講員により逮夜法要(毎歳忌宿忌)が行われ、翌20日には代表が大年寺山の伊達家歴代墓所に参拝している(東園寺ホームページより)
- ^ 『嚮館跡ー防災集団移転促進事業・災害公営住宅整備事業(大谷地区)に伴う発掘調査報告書ー』(気仙沼市教育委員会発行)
固有名詞の分類
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