おだ【織田】
織田氏
織田(津田)氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:15 UTC 版)
大溝城を築いた織田(津田)信澄は、父・信行(信勝)が信長への謀反により誅殺された後、柴田勝家のもとで養育された。その後、高島郡新庄に元亀2年(1571年)(天正元年〈1573年〉ないし天正2年〈1574年〉とも)より居城した磯野員昌の養嗣子にされたが、天正6年(1578年)2月、員昌の突然の出奔(逐電)により所領が与えられ、大溝城主として新庄から居城を移した。しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変により、明智光秀の娘婿であった信澄は共謀を疑われ、大坂城千貫櫓において襲撃を受け、自決した。
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