長享・延徳の乱とは? わかりやすく解説

長享・延徳の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 06:50 UTC 版)

長享・延徳の乱(ちょうきょう・えんとくのらん)とは、室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。


  1. ^ a b c d e 渡邊 2011, 第六章
  2. ^ 熱田研究よもぎの会『史蹟あつた』泰文堂、1962年10月25日、pp.82 - 83
  3. ^ 谷信一「出陣影の研究 上―地蔵院本は足利義尚像なること―」『美術研究』第67号、東京文化財研究所、1937年8月、1-11頁、CRID 1050282676660225152NAID 1200064817162023年11月15日閲覧 
  4. ^ 絹本著色騎馬武者像(伝足利尊氏像)(けんぽんちゃくしょくきばむしゃぞう)”. 愛知県. 2022年4月24日閲覧。
  5. ^ 『鹿苑日録』
  6. ^ a b c d e 山田 2016, 第1部 第2章-第3章
  7. ^ 村井祐樹 『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』 ミネルヴァ書房、2019年5月。ISBN 978-4-623-08639-9 P283-287.


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