将軍権力の解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 14:29 UTC 版)
この様な状況において、積極的に上洛し在京義務を果たしたのは、三管領の氏族である山城国守護畠山政長、尾張国守護斯波義寛であった。第9代将軍足利義尚、第10代将軍足利義稙の近江遠征(長享・延徳の乱)、明応2年(1493年)の足利義稙の河内遠征(畠山総州家征伐)に従軍し、将軍権力による復権を試みたが、その遠征の最中に細川政元が起こしたクーデターにより、畠山政長は敗死、斯波義寛は越前回復の夢を絶たれ、足利義稙は幽閉され、新たな将軍には足利義澄が擁立された(明応の政変)。更に、将軍直轄の軍事力であった奉公衆も解体され、これ以降の将軍は遠征どころか守護大名に庇護される状態にまで零落することとなった。
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