あしかが‐よしひさ【足利義尚】
足利義尚
足利義尚
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足利 義尚(あしかが よしひさ)は、室町幕府の第9代征夷大将軍[2](在職:文明5年(1473年) - 長享3年 (1489年))。
- ^ 『足利義尚』 - コトバンク
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 33頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 太田 1953, p. 277.
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- ^ a b 野田泰三「東山殿足利義政の政治的位置付けをめぐって」桃崎有一郎・山田邦和 編著『室町政権の首府構想と京都-室町・北山・東山-』(文理閣、2016年) ISBN 978-4-89259-798-5
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- ^ 『三好長慶』〈人物叢書〉13頁。
- ^ 「歴史読本スペシャル 特別増刊「臨終の日本史その死の瞬間」」新人物往来社 昭和62年 p.209
- ^ 熱田研究よもぎの会『史蹟あつた』泰文堂、1962年10月25日、pp.82 - 83
- ^ 谷信一「出陣影の研究 上―地蔵院本は足利義尚像なること―」『美術研究』第67号、東京文化財研究所、1937年8月、1-11頁、CRID 1050282676660225152、NAID 120006481716、2023年11月15日閲覧。
- ^ “絹本著色騎馬武者像(伝足利尊氏像)(けんぽんちゃくしょくきばむしゃぞう)”. 愛知県. 2022年4月24日閲覧。
- ^ 國史大辞典の引く後鑑や野史による(國史大辞典 大正14年2月25日大増訂p.46)。
- ^ 今谷明 『戦国時代の貴族』 講談社学術文庫 2002年 p.241
- ^ 室町幕府9代・足利義尚――遠征の末に倒れた将軍榎本秋の「歴代征夷大将軍総覧」2021年5月27日
- ^ 石田善人の説による(松本多喜雄『播州後藤氏の栄光 : 後藤又兵衛基次の系譜』、神戸新聞出版センター、1982年)。後藤尚基についてはこちらも参照のこと。
- ^ a b c 末柄 2006.
- ^ 『蔭涼軒日録』長享2年1月30日条に「大内息次郎、相公(足利義尚)賜二字、義興、義字賜者世所稀也」と記されている。
足利義尚
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長享3年3月26日、25歳で近江国鈎里の陣中で死去。切れ長の目。智勇文武を兼ね備えた名君。
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