足利義持・義量の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 08:53 UTC 版)
応永21年(1414年)に飯尾為継が代々の屋敷地を鹿王院に売却した際に子孫を代表する形で異論がないことを署名している。足利義持・義量の時代から奉行として活動しており、応永33年(1426年)には興福寺と東大寺の衝突を阻止するために奈良へ派遣され、翌34年(1427年)には赤松満祐追討に向かった細川満元への督促の使者として派遣されている。
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