足利義将とは? わかりやすく解説

足利義将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 08:01 UTC 版)

 
足利 義将
時代 室町時代中期
生誕 不詳
死没 嘉吉元年7月21日1441年8月7日
戒名 重玄寺殿護峰鎮公大居士
幕府 室町幕府
氏族 足利氏
父母 父:足利冬氏、母:不詳
兄弟 義尊義将
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足利 義将(あしかが よしまさ)は、室町時代の人物。足利直冬の孫と言われ、足利冬氏の次男に位置付けられる。

生涯

はじめ僧籍にあったとされ[1]、重玄寺の大旦那(高僧)にあったとされる[2]

嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱の際、赤松満祐に擁立された足利義尊の弟に当たる。『建内記』によれば、義尊の弟で禅僧となっていた者が備中から播磨に逃れようとして、備中守護細川氏久勝久の父)の兵に討ち取られ、その首が7月28日頃に京都に到着する予定と書かれている[1]

備中国井原荘吉井村(岡山県井原市)の『重玄寺古過去帳』によると、「重玄寺殿、贈一品護峰鎮公大居士、諱義将公、嘉吉元年辛酉七月廿一日御他界、当寺の大旦那なり、井原善福寺ヵ御館なり」とある。この禅僧は俗名を義将といい同寺の大旦那であり、井原善福寺を住まいとしていたという。法名は重玄寺殿護峰鎮公大居士[2]

生年は不明であるが、兄に当たる義尊は応永20年(1413年)生まれのため[3]、それ以降に生まれ、20歳前後だったと推測される。

脚注

  1. ^ a b 瀬野 2005, p. 187.
  2. ^ a b 瀬野 2005, p. 188.
  3. ^ 瀬野 2005, p. 186.

参考文献

書籍
史料
  • 『重玄寺古過去帳』
  • 『建内記』




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