浦上則宗とは? わかりやすく解説

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浦上則宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 14:14 UTC 版)

浦上 則宗(うらがみ のりむね)は、室町時代から戦国時代にかけての武将赤松氏の家臣。赤松政則の家臣。


  1. ^ 一部の文献では則宗の父を“浦上宗安”とする[1]
  2. ^ これまで「則宗の後継は村宗」というのが定説であったが則宗の死の直後から『赤松家風条々禄』などに祐宗の名で赤松家中の人間に命令を伝える文書が残されている。また、村宗がこの時期に諸氏へ命令するような文書は残されていない。この為、短期間ではあるが祐宗が当主の期間があったと見られている。
  1. ^ a b c d e f g h 今井尭ほか編 1984, p. 330.
  2. ^ 『大乗院寺社雑事記』。「今度之有馬之息総領職御判事ハ、謀書之御判也」とある。
  3. ^ 野田泰三「戦国期播磨における守護方文書の発給動向」川岡勉 編『中世後期の守護と文書システム』思文閣出版、2022年、P140.
  4. ^ a b 『蔭凉軒日録』


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