参加した大名
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細川政元 - 旧東軍。第一次征討では義尚は政元とだけ相談して征討を決断したとされる(『大乗院寺社雑事記』)。 細川政之 - 旧東軍。阿波守護。第一次征討出陣中に病に倒れて京都に帰還、長享2年7月に34歳で急死。第二次征討では後を継いだ弟の義春が参陣した。 畠山政長 - 旧東軍(畠山尾州家)。管領であり、第一次征討に出陣した。 斯波義寛 - 旧東軍。守護代の織田敏定・織田寛広を引き連れて上洛、遠征軍の主力を担った 京極政経 - 旧東軍。六角氏とは、長年戦っていた。 富樫政親 - 旧東軍。出陣中に加賀に騒乱が起こり戻るが、加賀一向一揆に攻め込まれて自殺した。 武田国信 - 旧東軍。若狭守護。 山名政豊 - 旧西軍。自身は上洛せず、代わりに嫡男の山名俊豊が赤松氏との戦争の最中に出陣した。 一色義直 - 旧西軍。自身は上洛せず、代わりに嫡男の一色義秀を派遣した。 土岐成頼 - 旧西軍。自身は上洛せず、代わりに嫡男の土岐政房を派遣した。 大内政弘 - 旧西軍。自身は上洛せず、代わりに家臣の問田弘胤を派遣した。 朝倉貞景 - 旧西軍→旧東軍。自身は上洛せず、代わりに一族の朝倉景冬を派遣した。 奉公衆
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参加した大名
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細川政元 - 旧東軍。第二次征討では出陣に消極的で、代わりに家臣の安富元家を派遣した。元家は近江守護代に任命されるが、ゲリラに苦しめられた。 細川義春 - 旧東軍。阿波守護。細川政之の弟。 畠山尚順 - 旧東軍。畠山政長の嫡男。第二次征討に出陣した。 斯波義寛 - 旧東軍。守護代の織田敏定・織田寛広を引き連れて上洛。遠征軍の主力を担い、朝倉氏から奪われていた越前回復を訴えた。 武田元信 - 旧東軍。若狭守護。遠征軍の主力を担った。 赤松政則 - 旧東軍。重臣の浦上則宗とともに出陣し、遠征軍の主力を担った。 京極政経 - 旧東軍。配下の国人衆が六角氏と同様に寺社領を横領したため、後に家督を甥・京極高清(旧西軍)に変えられた。 山名政豊 - 旧西軍。自身は上洛せず、代わりに嫡男の山名俊豊が出陣した。 一色義直 - 旧西軍。第二次征討は自ら出陣し、足利義材の代理として首実検を行った。 土岐成頼 - 旧西軍。第二次征討は自ら出陣した。 大内政弘 - 旧西軍。第二次征討は自ら出陣した。 奉公衆
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