織豊期の瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
織豊期(安土桃山時代)は瓦が大きな転換期であったので本記事では独立した時代として扱う。織豊期以降は大名の権威を誇示する目的で城に瓦が葺かれるようになり需要も急増する。城に瓦を葺く最も早い例は多聞山城とされるが、安土城の築城にあたり織田信長が一観に命じて城郭専用の瓦を作成させたことを契機に広く普及したと考えられる。 織豊期の瓦で特筆すべき点は金箔瓦である。金箔瓦の発生が安土城であるか否かは検討の余地があるが、これ以降の金箔瓦の起源は安土城にあると言える。技術的には金箔瓦は瓦当部に漆を塗って金箔を固着させたもので、安土城では瓦当文様の地になる部分に微細な金箔を撒く漆蒔技法、豊臣政権以降では瓦当文様自体に金箔が貼る箔押し技法が用いられた。金箔瓦は示威行為として採用されたと考えられ、豊臣秀吉は大坂城のほか関東を囲む要衝の城に用いている。近世では、山形城や仙台城などの一部大名の居城や、加賀藩前田家や徳島藩蜂須賀家などの江戸屋敷で使用された。また今日イメージされる鯱瓦の形状も安土城が初めてだと考えられている。 熊本城や姫路城など文禄・慶長の役に参加した大名の城には滴水瓦が採用された。記録には残されていないが、朝鮮半島出身者が関与していた可能性が指摘されている。また丸瓦の上下ジョイント部分などを漆喰で固定する手法もこの頃発生したと考えられる。
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