京極高清(きょうごく たかきよ) 1460~1538
○乙童子丸 六郎 高秀? 秀綱 中務少輔
◇父:京極勝秀 子:京極高広、高佳、上坂高景(信光)?
近江守護・京極氏当主。応仁の乱では東軍に加担。南近江・六角高頼と近江の覇権をかけて戦う。一時、家臣の多賀宗直が反乱を起こし、甲賀へ逃亡するが、1487年宗直を討ち取り帰国。叔父政経と家督を争い、1490年に政経が家督とされると、高清は敗れて越前・敦賀に逃れている。しかし2年後に家督を得て、1499年には重臣上坂家信を味方につけて北近江を奪回した。1505年には家信の仲介によって政経の子経秀と和解し、高清の北近江支配に成功した。しかし家信が没すると、その子信光が専横を極め、国人衆の反感を買う。次子高佳に家督を譲ろうとして、浅見氏ら長男高広を擁する国人衆の抵抗に遭い、1523年高清、信光は尾張へ追放された。1528年浅見氏を逐った浅井亮政を、信光と共に攻めるが、内保河原で敗れる。晩年は亮政の保護を受けた。
◇父:京極勝秀 子:京極高広、高佳、上坂高景(信光)?
近江守護・京極氏当主。応仁の乱では東軍に加担。南近江・六角高頼と近江の覇権をかけて戦う。一時、家臣の多賀宗直が反乱を起こし、甲賀へ逃亡するが、1487年宗直を討ち取り帰国。叔父政経と家督を争い、1490年に政経が家督とされると、高清は敗れて越前・敦賀に逃れている。しかし2年後に家督を得て、1499年には重臣上坂家信を味方につけて北近江を奪回した。1505年には家信の仲介によって政経の子経秀と和解し、高清の北近江支配に成功した。しかし家信が没すると、その子信光が専横を極め、国人衆の反感を買う。次子高佳に家督を譲ろうとして、浅見氏ら長男高広を擁する国人衆の抵抗に遭い、1523年高清、信光は尾張へ追放された。1528年浅見氏を逐った浅井亮政を、信光と共に攻めるが、内保河原で敗れる。晩年は亮政の保護を受けた。
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