多賀宗直とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 多賀宗直の意味・解説 

多賀宗直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/09 00:45 UTC 版)

多賀 宗直(たが むねなお、生年不詳 - 長享元年5月1日1487年6月1日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将多賀清直の子。通称は兵衛四郎。号は大成。京極氏の家臣多賀氏の一族で多賀出雲守家の出身。の「宗」の字は(後述の和睦時に)京極材宗から偏諱(一字)を賜ったものと思われる。

京極氏のお家騒動京極騒乱)では父と共に京極乙童子丸(後の高清)を擁立して乙童子丸の叔父京極政経(材宗の父)及び多賀高忠と衝突を繰り返し、父が文明11年(1479年)に亡くなった後も抵抗を続けたが、文明13年(1481年)に室町幕府の仲介で高忠と和睦、高清の補佐として事実上北近江の実権を握った。文明17年(1485年)に出家、大成と号した。

文明18年(1486年)8月、京極政経・材宗父子が出雲から上洛すると政経父子と結んで高清に反乱を起こし、高清を甲賀郡三雲に追放したが、10月に高清の反撃に遭い美濃へ逃亡、翌長享元年(1487年)に北近江に戻ったが、5月1日に国友河原で敗北、浅井郡月ヶ瀬の城館に逃れたが包囲され自殺した。

宗直の自殺で多賀出雲守家は断絶、高忠の豊後守家が存続した。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「多賀宗直」の関連用語

多賀宗直のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



多賀宗直のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの多賀宗直 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS