足利義材とは? わかりやすく解説

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足利義稙

(足利義材 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 21:54 UTC 版)

足利 義稙(あしかが よしたね)は、室町幕府の第10代征夷大将軍[14]。父は室町幕府第8代将軍・足利義政の弟で、一時兄の養子として継嗣に擬せられた足利義視。母は裏松重政の娘・日野良子日野富子の妹)。


注釈

  1. ^ 義稙は細川澄元細川成之と大内義興を和睦させようと工作している[23]
  2. ^ 中国で大領国を支配し対貿易の利もあった義興の実力が圧倒的に大きかった[29]
  3. ^ 財政的な負担も大きかったためという(『公卿補任』『相良家文書』)[34]
  4. ^ 5月1日に義稙は細川澄元に細川家家督の相続を許していたためであり、また高国も義稙を無視して幕政を専横したためである[39]
  5. ^ 淡路に着いたのは3月10日である[42]
  6. ^ 4月7日とも。
  7. ^ 阿南市立阿波公方・民俗資料館の館内解説によると、義冬が当地に納めたのは遺髪。
  8. ^ 三条西家旧蔵『不審申条条』にその問い合わせの内容が残されている。
  9. ^ 公卿補任では、延徳2年7月5日付、右中将兼帯となっているが、翌年以降の記事では、左中将となっている。また、足利義稙御判御教書(延徳2年8月18日付。東寺文書 書12)では参議左近衛権中将の官職名となっている
  10. ^ 『公卿補任』には、明応9年(1500年)まで「征夷大将軍」の記載がある。
  11. ^ a b 晴重(稙信)のもう一人の子(守信(稙清)の弟)である葛西晴胤の別名が義稙復職前の将軍・足利義澄(初め義高)から1字を受けたとみられる「高信」であることから逆転現象が生じてしまっており矛盾している。このため、実際に名乗っていたか否かはわからない。

出典

  1. ^ 足利義稙』 - コトバンク
  2. ^ 『多聞院日記』・永正4年8月23日条
  3. ^ 『後法成寺尚通公記』・永正5年6月8日条
  4. ^ 『二水記』・大永元年6月28日条
  5. ^ a b 『佐竹系図』続群書類従第5輯上系図部p.494。昭和34年5月15日訂正3版
  6. ^ a b 『佐竹系図』続群書類従第5輯上系図部p.507。昭和34年5月15日訂正3版
  7. ^ 『足利家官位記』
  8. ^ 『足利系図』続群書類従第5輯上系図部p.306。昭和34年5月15日訂正3版
  9. ^ 『清和源氏系図』続群書類従第5輯上系図部p.286。昭和34年5月15日訂正3版
  10. ^ 系図纂要』による
  11. ^ 山田康弘『足利義稙』戎光祥出版、2016年、181頁
  12. ^ 『平島殿先祖并細川家三好家覚書』
  13. ^ 『阿州将裔記』
  14. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 33頁。
  15. ^ 西島太郎 著「第十代将軍 足利義稙」、平野明夫 編『室町幕府全将軍・管領列伝』星海社、2018年。ISBN 9784065136126 319頁
  16. ^ 「中世武士選書33 足利義稙 戦国に生きた不屈の大将軍」『中世武士選書33 足利義稙 戦国に生きた不屈の大将軍』戎光祥出版、2016年。ISBN 9784864031912 35,36頁
  17. ^ 西島太郎 2018, p. 319.
  18. ^ 山田康弘 2016, pp. 41, 42.
  19. ^ 設楽薫「将軍足利義材の政務決裁- 「御前沙汰」における将軍側近の役割 -」『史学雑誌』第96巻第7号、史学会、1987年、36頁。 
  20. ^ 浜口 2014, p. 222-225.
  21. ^ 井原今朝男「室町廷臣の近習・近臣と本所権力の二面性」『室町期廷臣社会論』塙書房、2014年。 
  22. ^ 長江 1989, p. 13.
  23. ^ a b 長江 1989, p. 19.
  24. ^ 山田康弘『足利義稙 戦国に生きた不屈の大将軍』戎光祥出版〈中世武士選書〉、2016年、108頁。ISBN 978-4-86403-191-2 
  25. ^ 萩原大輔「中世・部会報告 足利義尹政権考」『ヒストリア』第229号、大阪歴史学会、2011年12月、86-87頁、NAID 40019141766 
  26. ^ 『大乗院寺社雑事記』明応8年9月1日条
  27. ^ 萩藩閥閲録
  28. ^ 『堺鑑』(続々群書類従第8地理部 明治39年8月25日発行 p.635,p636)
  29. ^ 長江 1989, p. 18.
  30. ^ 浜口 2014, p. 88-90.
  31. ^ 浜口 2014, p. 112-116・280-282.
  32. ^ 大阪府史編集専門委員会 編『大阪府史』 第4巻《中世編 Ⅱ》、大阪府、1981年5月30日、307頁。NDLJP:9574696 (要登録)
  33. ^ 浜口 2014, p. 225-227.
  34. ^ a b 長江 1989, p. 24.
  35. ^ 『御内書案』永正15年12月2日条〈続群書類従第23輯下武家部 昭和50年4月15日訂正3版〉286頁。
  36. ^ 長江 1989, p. 25.
  37. ^ 浜口 2014, p. 230-231.
  38. ^ 浜口 2014, p. 231-232.
  39. ^ 長江 1989, p. 30,36.
  40. ^ 浜口 2014, p. 232-234.
  41. ^ 水野智之『室町時代公武関係の研究』吉川弘文館、2005年、246-249頁。 
  42. ^ a b 長江 1989, p. 36.
  43. ^ 長江 1989, p. 37.
  44. ^ 『三重県の歴史』山川出版社、138頁。 


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