葛西晴胤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:38 UTC 版)
葛西 晴胤(かさい はるたね)は、戦国時代の大名。葛西氏第15代当主。葛西晴重の子[1][2][注釈 3]。子に葛西親信、葛西晴信[1]。
注釈
- ^ a b 阿部 & 西村 1990では明応2年(1493年)生まれ、天文20年10月13日(1551年11月10日)没。
- ^ a b 「高」の字は第11代将軍・足利義高(のちの義澄)からの偏諱とも考えられる。ただし、父・晴重と兄・守信の別名(稙信、稙清)が12代将軍・足利義稙より一字を賜ったとみられる諱であるため、この点では矛盾している。
- ^ a b 仙台藩系の系譜では、葛西牛猿丸(伊達稙宗の七男)は晴胤のことであり、葛西晴重の養子になったとされている。
出典
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