異姓の小野寺氏とは? わかりやすく解説

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異姓の小野寺氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 18:46 UTC 版)

小野寺氏」の記事における「異姓の小野寺氏」の解説

小野寺名乗る諸家はほとんどが上述藤原姓称しているが、わずかながら異姓の小野寺氏が存在する。 以下の例は時期前後長短違いはあれほとんど葛西家臣であり、源姓小野寺氏以外はすべて現在の岩手県一関市一部それぞれの所領をもっていた(葛西家臣の中には多く小野寺氏がいるが、ほとんどは上述のように藤原姓であってこれらは例外的存在である)。 平姓小野寺氏千葉氏分流で、小野寺胤兼・小野寺久道・小野寺道庶・小野寺重光の四系統がある。胤兼と久道はともに源頼朝仕え後に葛西家となった。道庶と重光葛西氏分流である。道庶の系統葛西信胤の子であった道庶が母方の姓を名乗って小野寺称したのが始まり重光の方は葛西清重の子孫で息子重政小野寺家を継がせ自らも小野寺氏称したその子孫橘姓小野寺氏葛西晴胤仕えた小野寺清俊の家系。清俊は橘姓称していた。 源姓小野寺氏清和源氏及川氏分流で、現在の宮城県気仙沼市一部所領有し鹿折氏(または鹿折氏)を名乗っていたが、下鹿折時兼(通称:鹿折信濃)の時、「浜田広綱の乱」があり、鹿折氏葛西家臣だったにもかかわらず浜田氏に与したため葛西氏の命を受けた熊谷氏滅ぼされた(浜田広綱の乱とは浜田の陣ともいい、永禄3年1560年)から天正16年1588年)にかけて葛西氏に対して浜田広綱おこした謀反である。)。その後、鹿折信濃浪人となって彷徨った。旧領地の支配者熊谷氏から木村吉清へと二転三転したが、天正19年1591年)に最終的に伊達氏所領になると、鹿折に戻り小野寺氏名乗って帰農その子孫多く分家生んで繁茂した小野寺氏気仙沼市で最も多い苗字であるがそのうち鹿折地区の小野寺氏はすべてこの鹿折信濃末裔である。 源姓小野寺氏村上源氏北畠氏分流で、江戸時代後期から幕末にかけて三春小野寺氏三春藩秋田氏福島県三春町)の家臣)の中に源姓称する小野寺氏がいた。

※この「異姓の小野寺氏」の解説は、「小野寺氏」の解説の一部です。
「異姓の小野寺氏」を含む「小野寺氏」の記事については、「小野寺氏」の概要を参照ください。

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