下田広氏とは? わかりやすく解説

下田広氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/13 01:03 UTC 版)

下田広氏
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 七九郎(通称)
官位 美作
幕府 室町幕府 御家人
主君 足利義材足利義澄
氏族 本姓:秦氏秦河勝後裔
名字:下田氏(川勝氏
父母  父:下田氏(川勝氏)、母:某氏
兄弟 下田広氏
正室:某氏
川勝広継、下田光隆、下田朝政、
下田朝道

下田 広氏(しもだ ひろうじ)は、戦国時代丹波国人領主広親(ひろちか)とも称した。本姓は秦氏で、秦河勝の後裔とされる[1]

生涯

下田氏(川勝氏)は丹波国桑田郡・船井郡内を知行し、室町幕府に仕えてきた。下田広氏は10代将軍足利義材、11代将軍足利義澄に仕えた。家伝によれば、下田広氏は秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。丹波国桑田郡下田に住んでいたので下田を称した。『寛永諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』ともに、この人物から幕臣川勝氏の系図は始まっている。

先の応仁の乱では、幕府の管領を務めた細川勝元に従って、下田氏(川勝氏)は他の国人衆とともに合戦に参加した。下田広氏は丹波の有力な国人領主であったことが窺われる。15世紀末期 - 16世紀初期を生きた人物。生没年不詳。

脚注

  1. ^ 家伝(『寛政重修諸家譜』編纂時の呈譜等)によれば、下田美作守広氏は秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。しかし、『寛永諸家系図伝』には、広隆と美作守某(丹波国の住人)は「此間断絶す」とある。

参考文献

  • 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年

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