秦河勝とは? わかりやすく解説

はた‐の‐かわかつ〔‐かはかつ〕【秦河勝】

読み方:はたのかわかつ

古代官人山城の人。聖徳太子舎人(とねり)で、蜂岡寺(のちの広隆寺)を創建した伝える。生没年未詳


秦河勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 15:28 UTC 版)

秦 河勝(はた の かわかつ)は、秦氏の族長的な人物であり、聖徳太子に強く影響を与えた人物とされる。。秦国勝の子とする系図がある(古墳時代から飛鳥時代)。冠位は大仁(『上宮聖徳太子傳補闕記』によると小徳[1]。『朝野群載』巻三には「大花上」とある。


注釈

  1. ^ 宗本

出典

  1. ^ a b c 「秦氏系図[1]」『山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記』所収
  2. ^ 新撰姓氏録』左京諸蕃
  3. ^ 『上宮聖徳太子傳補闕記』「太子亦誓放四天王之矢。即中賊首大連胸倒而墜樹」
  4. ^ 『日本書紀』推古天皇18年10月9日条
  5. ^ a b 『日本書紀』皇極天皇3年7月条
  6. ^ 加藤謙吉『秦氏とその民 渡来氏族の実像』(白水社、 1998年)
  7. ^ 世阿弥『風姿花伝』第4、神儀云 (沼 (1979), p. 50)
  8. ^ 林羅山本朝神社考』5; 『和漢三才図会』72 (青木 (1985), p. 5)
  9. ^ 松本正造『聖徳太子伝図会』文盛堂、1887年、秦河勝出生、106頁
  10. ^ 高木敏雄『日本神話物語』服部書店、1911年、秦河勝、191頁
  11. ^ 服部幸雄『宿神論―日本芸能民信仰の研究』(岩波書店、2009年)p.47,58 ISBN 978-4-000-23459-7
  12. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』
  13. ^ 『駿国雑志』。尊良を河勝の次男とした書物も残されているが詳細不明。
  14. ^ 『地下家伝』


「秦河勝」の続きの解説一覧

秦 河勝(はたの かわかつ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 09:43 UTC 版)

ムシブギョー」の記事における「秦 河勝(はたの かわかつ)」の解説

千年上前太古の時代生きた6世紀大和朝廷仕え廷臣である秦家の豪族蟲狩祖先にあたる人物

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