廷臣
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廷臣(ていしん、英: courtier [ˈkɔːrtiər])とは、朝廷に仕える臣下[1]。または、頻繁に宮廷に列している人物[2]。本項では主に後者の意味で用いる。
- ^ “廷臣とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2020年10月14日閲覧。
- ^ “Courtier | Definition of Courtier at Dictionary.com”. Dictionary.com, LLC. 2020年10月14日閲覧。
- ^ Radner, Karen (22 September 2011). The Oxford Handbook of Cuneiform Culture. Oxford, UK: Oxford University Press. pp. 358–379. ISBN 978-0-19-955730-1
- ^ Groß, Melanie; Pirngruber, Reinhard (September 2014). “On Courtiers in the Neo-Assyrian Empire: ša rēsi and mazzāz pāni”. Imperium and Officium Working Papers (IOWP) 2015年2月24日閲覧。.
- ^ 本来は名前通り家令、つまり「ファラオの家(=王宮)の管理者」のことだったが、後には「メンフィスの家令」のような使われ方(役職名)も出た。
- ^ Stephen Quirke: Titles and bureaux of Egypt 1850-1700 BC, London 2004, ISBN 0-9547218-0-2, pp. 50-51, 61
- ^ Dandamayev. “Courts And Courtiers. In the Median and Achaemenid periods”. Encyclopædia Iranica. Encyclopædia Iranica. 2015年2月24日閲覧。
- ^ Maria Brosius (2007). “New out of old? Court and court ceremonies in Achaemenid Persia”. In Spawforth, A.J.S.. The Court and Court Society in Ancient Monarchies. Cambridge UK: Cambridge University Press. pp. 1–57. doi:10.1017/CBO9780511482939.002. ISBN 978-0-521-87448-9
- ^ Tony Spawforth (2007). “The court of Alexander the Great between Europe and Asia”. In Spawforth, A.J.S.. The Court and Court Society in Ancient Monarchies. Cambridge UK: Cambridge University Press. pp. 93–97. doi:10.1017/CBO9780511482939.004. ISBN 978-0-521-87448-9
- ^ Kazhdan, Alexander P.; McCormick, Michael (1995). “The Social World of the Byzantine Court”. In Maguire, Henry. Byzantine Court Culture from 829 to 1204. Harvard University Press. pp. 175. ISBN 9780884023081[リンク切れ]
- ^ Angelov, Dimiter G. (2003). “Byzantinism: The Imaginary and Real Heritage of Byzantium in Southeastern Europe”. New approaches to Balkan studies. Brassey's. pp. 3, 11. ISBN 1574887246
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廷臣(趙)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「廷臣(趙)」の解説
郭開(かくかい) 声 - ふくまつ進紗 趙大臣→宰相。李牧失脚後、趙国の政権を奪取した佞臣。裏で呂不韋と繋がっている。 鄴編では李牧を朱海平原敗戦の罪で地下牢に投獄し、公開処刑を言い渡す。また、李牧の助言を悉く握り潰した。悼襄王の急死で自身の立場が危うくなったが、遷が次期国王に指名されたことで再び実権を得る。遷の立場を盤石にすべく、すぐに太子嘉や李牧ら嘉一派の粛清に動き出す。一方で握り潰していた李牧の助言を使い、対秦防衛網を構築する。その後宰相に就任するが、扈輒の戦死の報せを受けて愕然。その後、廉頗から帰国の打診を受けるも拒否し、やむを得ず李牧を頼る。 姚賈(ようか) 声 - 宮内敦士 趙家臣。郭開に取り入って、李牧失脚に貢献。実は昌文君によって派遣されているスパイであり、得た情報を昌文君へと流している。 春平君(しゅんぺいくん) 趙家臣。悼襄王の寵愛を受けている青年。呂不韋とは旧知で、書簡を貰い秦に出向いた所を拉致され、秦趙同盟が結ばれるきっかけとなった。 燕蒙(えんもう) 趙王宮近衛隊長。悼襄王死後は郭開の命令を拒否していたが、遷が次期国王に指名されたことで止む無く従うことになる。 胡周(こしゅう) 趙家臣。良識派の老臣で秦軍侵攻を知り、悼襄王に邯鄲軍の出陣を上奏するも聞き入れられなかった。
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廷臣(魏)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「廷臣(魏)」の解説
月華広(げっかこう) 魏宰相。良識のある老人。始皇十二年に、秦から提案された三年同盟締結の条件の是非を聞く為に呉鳳明を王都に呼び戻すべきと景湣王に進言。呉鳳明が三年同盟を否として、秦国の使者の処刑を進言した際には苦言を呈した。 玻璃(はり) 魏軍師。始皇十二年に、秦から提案された三年同盟締結の条件の是非を聞く為に呉鳳明を王都に呼び戻すまでもないと景湣王に進言し、呉鳳明に三年同盟の条件の具体的な内容を語った。
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廷臣(楚)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「廷臣(楚)」の解説
春申君(しゅんしんくん) 声 - 内田夕夜 楚宰相。戦国四君の一人。李牧と並ぶ鋭い観察眼を持つ一方、歯に衣着せない荒っぽい言動で部下や他国の将軍などに容赦なく暴言を吐くなど気性は激しい。 合従編では、李牧から合従軍総大将に推挙された。敗戦後、責任を負って朝廷から遠ざけられ、辺境都市「来虎」に左遷された。考烈王と李園と共に自分と李園の妹との子を王の子として王位継承を図っていたが、始皇九年の考烈王の死後に変心。王弟に王位を継がせようと李園に刺客を送ったが、逆に暗殺された。 李園(りえん) 春申君食客→楚宰相。考烈王と春申君の王位継承の企てに自身の妹を通じて関わっており、考烈王の死後に考えを翻した春申君を暗殺後に、楚を立て直すために廉頗を通じて媧燐と対談し、媧燐に共に宰相になるように嘆願。媧燐と共に宰相となる。
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廷臣(燕)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「廷臣(燕)」の解説
郭隗(かくかい) 燕家臣。故人。昭王によって亡国の危機を脱した後に国力を回復するために助言を請われ、「先ずは郭隗を厚遇することから始める」ように上奏した(「先ず隗より始めよ」)。その結果、楽毅や劇辛などといった有力者が続々と燕に集まり、燕は強国化した。
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廷臣(韓)
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張宰相(ちょうさいしょう) 韓の宰相。中華で賢者と名高い賢臣。政の戴冠式に参加した。前漢三傑の一人、張良の血縁者。
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廷臣(斉)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「廷臣(斉)」の解説
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廷臣
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橋玄(きょう げん、字・公祖) 声:平野正人 洛陽の裁判官。その公私混同を一切許さぬ厳格さから「洛陽の鬼神」と恐れられている。張譲によって罪に問われる事になった曹操を詰問するが、逆にその志で圧倒してくる曹操に関心を抱き、不問とした。 阿政(あ せい) 声:鈴木勝美 洛陽の宮中警備隊長。昇進をちらつかされて蹇碩の曹操排斥計画に協力し、北門で亶公を処罰した曹操を詰問するが逆にやり込められる。 陳蕃(ちん ばん、字・仲挙) 十常侍の専権を皇帝に訴え出ようとしたところ、十常侍の偽の勅令にしたがった張奐に殺されてしまった。しかし首を落とされてもなお十常侍への断罪を訴える気骨を見せた。その上奏文は張奐を経て曹操の元に渡る事となる。 皇甫嵩(こうほ すう、字・義真) 声:西村知道 黄巾党討伐の際に潁川で指揮を取っていた将軍。乱世となって下級の武官が幅を利かせるのを複雑に思っているが、融通の利く所もある。 厳忠(げん ちゅう) 声:稲葉実 黄巾の乱での皇甫嵩の副将。曹操・孫堅を率いて昆陽の食料砦を攻めるも、苦戦してしまう。曹操軍と孫堅軍の活躍によって食料砦が陥落した後、兵糧を奪取すべく砦内に侵入したが、黄巾党の援軍を恐れた曹操によって砦は焼き払われてしまった。 丁原(てい げん、字・建陽) 声:仲木隆司 何進によって要職に取り立てられる。董卓が権力を握ると、愚帝(劉弁)擁立の咎で斬罪を宣告される。直後、養子の呂布を使って董卓に対抗しようとするも、寝返った呂布によって胴体真っ二つにされ殺された。 伍孚(ご ふ、字・徳瑜) 声:ヤスヒロ 何進の元で劉弁擁立に貢献した文官。董卓が政権を握ると、丁原とともに死刑を宣告された。 蔡邕(さい よう、字・伯喈) 声:龍田直樹 文人。董卓の悪逆非道を史書に書き連ねたことで群臣から董卓に訴えられるが、逆にその才能を董卓に認められ、自身も董卓の思想に真髄を知る。董卓の死後は王允によって投獄され、なおも董卓がいかなる人物かを史書に記そうとしたために、王允に処刑された。蔡文姫の父。 王允(おう いん、字・子師) 声:大林隆介 司徒。十常侍の専横を訴えるなど気骨ある人物。西涼の董卓と結んで中央に進出しようとする董卓の後ろ盾となる。しかし董卓の暴政が苛烈を増して行くと自らの名が負の歴史として書かれる事を恐れ、董卓の排除を図る。呂布により董卓が討たれた後は、後世に残る名に囚われ気骨を完全に見失う。董卓の残党を引き入れて呂布を討とうとするが、逆に李傕に首を刎ねられ殺害される。 貂蝉(ちょうせん) 声:朴璐美 王允の養女。元々は陰気な性格の醜女。董卓から父・王允を救うべく、自ら瞼を切って整形し美女となって董卓に接近、一度はその殺害に失敗するも気概を認められ、彼の妃として後宮に迎えられる。そして董卓の器が絶対的な王者のものであることを知るが、自分を抱いた呂布に魅せられ、共に董卓を討つ。しかし、呂布の暗殺に来た董卓の残党に殺されてしまった。呂布は彼女の死に涙していた。 三国志演義の創作上の人物であるが、作者の意向で「三国時代の女性の代弁者」という役割で登場する。 士孫瑞(しそん ずい、字・君栄) 声:小原雅人 王允の部下。王允に董卓誅殺を相談される。計画は成功するが、後世に残る名にとらわれるようになった王允に半ば失望する。その後、李傕に密告するがそのまま李傕によって殺された。 王子服(おう しふく) 董承らとともに劉備を使い、曹操の誅殺を目論む。釣り人に変装して劉備に接触した。計画は失敗し、荀攸指揮による激しい拷問を受けた末に、計画の背後に献帝が糸を引いていることを白状してしまわないように自ら舌を噛み切り死ぬ。 呉子蘭(ご しらん)、种輯(ちゅう しゅう) 董承らとともに劉備を使い、曹操の誅殺を目論むも失敗し、処刑される。 孔融(こう ゆう、字・文挙) 孔子20世の子孫。建安七子の一人。詩歌の腕前は聞くだけで周囲の人々が涙するほど。儒こそが漢朝を支えるべきものと儒教一尊に凝り固まり、曹操・曹植・陳琳らのいう「新しい言葉の世界」を危険なものととらえる。生来の尊大で気短な性格を器用に包みこみ、他人の意を曲解し自身の言葉で語るなど、儒の負の面を表していた。丞相不遜罪により処刑され、曹操の後の儒者との戦いともいえる行動のきっかけになった。 吉邈(きつ ばく、字・文然) 吉本のクーデターに加担し、曹操の天下簒奪を糾弾するも戦死。
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