扈輒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 09:28 UTC 版)
扈 輒(こ ちょう、生年不明 - 紀元前234年)は、中国戦国時代の趙の幽繆王に仕えた将軍。
紀元前234年(幽繆王2年)、秦の将軍の桓齮が趙の平陽[1][2]・武城[3]を攻撃した(平陽の戦い)。扈輒は敗死し、10万人が斬首された[1]。なお、『史記』廉頗藺相如列伝では、扈輒が敗れて戦死したのは武遂と記されている[4][5]。
脚注
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史記 卷六 秦始皇本紀 第六. 史記/卷006. - ウィキソース.始皇帝十三年の項、及び六国年表
史記 卷十五 六國年表 第三. 史記/卷015. - ウィキソース.公元前234年の項より
- ^ 史記.第一 巻六 秦始皇本紀第六二〇三頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^
史記 巻四十三 趙世家 第十三. 史記/卷043趙幽繆王. - ウィキソース.趙幽繆王元年の項
- ^
史記 巻八十一 廉頗藺相如列傳 第二十一. 史記/卷081#附 李牧. - ウィキソース.後七年の項
- ^ 和訳史記列伝 第二十一 廉頗藺相如列伝325頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
扈輒(こちょう)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「扈輒(こちょう)」の解説
趙将軍→大将軍。かつて燕国との戦線で猛威を振るった「邯鄲の守護神」の異名を持つ名将。何事においても動じることがなく、夏満曰く「誰よりも"痛み"を抱えている」とのことで、顔に飾りの様な物を刺して痛みを感じて平衡を保っている。悼襄王には気に入られていたが、本人は嫌悪していた。
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