カバネとは? わかりやすく解説

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かばね【姓】

読み方:かばね

上代、氏(うじ)を尊んだ称。氏そのもの、または朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)など、氏の下に付けてよぶものをいうまた、両者あわせたものをも「かばね」とよぶ。狭義には、朝臣宿禰などのことをさす。古代の「かばね」には、臣(おみ)・連(むらじ)・造(みやつこ)・君(きみ)・直(あたえ)など数十種あり、氏の出自よるものと、氏の職業与えられたものとがある。

天武天皇13年684)の八色(やくさ)の制で定められたもの。真人(まひと)・朝臣宿禰忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)の「かばね」を諸臣与えて氏族身分秩序確立しようしたもの


かばね【×屍/×尸】

読み方:かばね

死体また、死体の骨。しかばねなきがら。「—を葬る

海行かば水浸(みづ)く—」〈四〇九四〉

尸冠(しかばねかんむり)」の異称


読み方:カバネ(kabane

古代豪族用いた世襲称号


カバネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 13:16 UTC 版)

カバネ(姓)は、古代日本のヤマト王権において、治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ(天皇))から有力な(ウジ、ウヂ、氏族)に与えられた、その氏の位階・体裁・性格を示す称号である。


注釈

  1. ^ 律令制の下では、氏・姓・名の記述順は身分によって異なった。氏・名・姓(蘇我入鹿臣)を逆称と言い、氏・姓・名(蘇我臣入鹿)を順称と言う。逆称は五位以上の身分に用い、順称は六位以下に対して適用された。ただし、『日本書紀』では蘇我蝦夷や蘇我入鹿などは、逆称と順称の双方が適用されている[2]
  2. ^ 今日の通説的理解は基本的に阿倍武彦の研究に基づくものであり[4][5]、本項では阿部の見解を基本としてカバネについてまとめる。
  3. ^ 癸未年は503年の他、383年、443年の可能性もあるが、503年と見るのが通説である[8]
  4. ^ 中村友一は「氏(ウヂ)」について次のようにまとめている。「日本古代の『氏』は家族(family)・親族を中心としつつも、その周縁などに擬制的同祖同族関係の氏族も結びついて構成される政治集団である。いわゆる、親族・血縁集団の集合で構成される西洋歴史学の概念である『氏族(Clan)』とは異なるものである[11]。古代日本の史書では「姓」字によってウヂ、カバネ、あるいはその双方を指す場合がある[3]。」
  5. ^ 例えば複数の国に見られる官名「卑狗(ヒコ)」「卑奴母離(ヒナモリ)」や、不弥国にみえる「多模(タマ)」、投馬国に見える「弥弥(ミミ)」等[14]
  6. ^ この語は『日本書紀』巻2に「数多く長く続くこと」を意味する語として現れている。コトバンク参照
  7. ^ 山尾は「連」字を用いる理由について連続(豆々企[注釈 6])の意味の連を宛てたらしいものとしている[20]。朝鮮において主張を意味する「連」が日本語のムラジと意味的に近かったため、この漢字表記が採用されたとする説もある[21]
  8. ^ 阿倍武彦は「奴」(ヤッコ)、あるいは貴人の尊称とも言われるが明瞭ではないと述べている[23]。山尾幸久は「宮ツ子」から来ており「宮の子」の意味であると解している[24]
  9. ^ 後に「アソン」、更に「アッソン」とも。
  10. ^ 小錦は大化3年(647年)の七色十三階冠制定の際に設置された冠位。途中変遷を経つつ、天智3年(664年)には(大小)織、(大小)縫、(大小)紫、大錦(上中下)、小錦(上中下)という位階になっていた[35]。小錦下以上がいわゆる上級の官人となる[36]
  11. ^ 公家の間で実名を使用する際、冠位に応じて敬称を付けるのが通例とされた。この継承は最上位が「公」(太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣)、次いで「卿」(参議および位階3位以上)、最後が「朝臣」(参議以外の位階4位以下)であった[61]。この「朝臣」はあくまで敬称でありカバネではない。
  12. ^ たとえば、明治4年6月の『職員録・改』(国立公文書館アジア歴史資料センター ref.A09054276400)では、「従三位守大江朝臣孝允木戸」のように、位階・「行」(位階相当より低い官職の場合)または「守」(位階相当より高い官職の場合)・本姓・カバネ・諱に苗字を付記してある。なお、姓尸不称令が出された後の同年12月の『諸官省官員録』(同、ref.A09054276600)では、位階・苗字・実名と簡素化されている。
  13. ^ 明治維新直後、官名(大和守、弾正、摂津介、左近番長など)を通称(人名)として使用することが禁止された[63]。この際あらたに「名前」として通称が必要になった武士の間には実名(名乗)を通称とした者がいた。これは官名を「名前」とすることが武士の地位、身分的特殊性を外に示すものであったことと、武家ではない庶民の間では「実名」を普通設定していなかったことに関係している。士族による明治維新直後の実名(名乗)使用は官名に基づく旧来の「通称」が使えなくなったことに対応して、庶民の間では用いられない特別な「名前」である名乗(実名)を用いることで庶民との差異を示すという一種の代替処置であった[64]
  14. ^ これらは通説的には「臣」を帯びるのが自然である[82]
  15. ^ この理解に従えば、「連」を「造」を統括する古い職掌のカバネとする定義とは異なるものとなる。渡来(帰化)氏族は「造」姓のものが多く、全く連姓の氏族が見られないが、カバネが出自と結びついているとするならば、渡来氏族が神別のカバネである「連」を帯びず、基本的に「造」姓である場合が多いのは当然のものと理解できるという[83]

出典

  1. ^ 中村 2009, pp. 6-7
  2. ^ 野田 2001, p. 2
  3. ^ a b c d 中村 2020, p. 25
  4. ^ a b 篠川 2015, p. 28
  5. ^ 山尾 1998, pp. 24-28
  6. ^ 阿部 1960, p. 17
  7. ^ 阿部 1960, pp. 20-21
  8. ^ 阿部 1960, p. 23
  9. ^ 阿部 1960, p. 24
  10. ^ 阿部 1960, p. 1
  11. ^ 中村 2020, p. 32
  12. ^ a b c 阿部 1960, p. 28
  13. ^ a b c 阿部 1960, p. 31
  14. ^ a b c d e 阿部 1960, p. 29
  15. ^ 阿部 1960, p. 16
  16. ^ 阿部 1960, p. 30
  17. ^ a b c 阿部 1960, p. 32
  18. ^ 阿部 1960, p. 52
  19. ^ a b 阿部 1960, p. 37
  20. ^ 山尾 1998, p. 49
  21. ^ 阿部 1960, p. 39
  22. ^ 阿部 1960, pp. 39-40
  23. ^ 阿部 1960, p. 42
  24. ^ a b c 山尾 1998, p. 38
  25. ^ 阿部 1960, pp. 42-48
  26. ^ 阿部 1960, pp. 50-51
  27. ^ a b 阿部 1960, p.65
  28. ^ 阿部 1960, p.66
  29. ^ a b 阿部 1960, p.68
  30. ^ 阿部 1960, p.71
  31. ^ 阿部 1960, p.72-73
  32. ^ a b c 阿部 1960, p.73
  33. ^ 阿部 1960, p.74
  34. ^ 山尾998, p. 17
  35. ^ 虎尾 2021, pp. 6-7
  36. ^ 虎尾 2021, p. 20
  37. ^ 阿部 1960, p.75
  38. ^ a b c d 阿部 1960, p.78
  39. ^ 阿部 1960, p. 80
  40. ^ 阿部 1960, p. 81
  41. ^ 阿部 1960, p. 82
  42. ^ 阿部 1960, p. 84
  43. ^ 阿部 1960, p. 85
  44. ^ a b 豊田 2012, pp. 22-23
  45. ^ 阿部 1960, p. 126
  46. ^ a b 豊田 2012, p. 25
  47. ^ 豊田 2012, p. 26
  48. ^ 豊田 2012, p. 27
  49. ^ 阿部 1960, p. 116
  50. ^ 阿部 1960, p. 105
  51. ^ 中村 2009, p. 252
  52. ^ 尾脇 2021, p. 18
  53. ^ 尾脇 2021, p. 36
  54. ^ 尾脇 2021, pp. 58-60
  55. ^ 尾脇 2021, p. 62
  56. ^ 尾脇 2021, p. 105
  57. ^ 尾脇 2021, pp. 106-107
  58. ^ 尾脇 2021, p. 109
  59. ^ 尾脇 2021, p. 110
  60. ^ 尾脇 2021, p. 115
  61. ^ 尾脇 2021, p. 116
  62. ^ 尾脇 2021, p. 230
  63. ^ 尾脇 2021, pp. 184-199
  64. ^ 尾脇 2021, p. 216
  65. ^ 尾脇 2021, pp. 236-241
  66. ^ 尾脇 2021, pp. 245-246
  67. ^ 明治4年10月12日(1871年11月24日)、「公用文書ニ姓尸ヲ除キ苗字実名ノミヲ用フ」、国立国会図書館近代デジタルライブラリー。
  68. ^ 明治3年9月19日(1870年10月13日)、「平民苗氏ヲ許ス」、国立国会図書館近代デジタルライブラリー 。
  69. ^ 尾脇 2021, pp. 247-250
  70. ^ 明治8年(1875年)2月13日、「平民自今必苗字ヲ唱ヘシム」、国立国会図書館近代デジタルライブラリー。
  71. ^ a b c d 中村 2009, p. 21
  72. ^ a b c 中村 2009, p. 7
  73. ^ 中村 2015, p. 49
  74. ^ 篠川 2015, p. 26
  75. ^ a b 篠川 2015, p. 27
  76. ^ 山尾 1998, p. 23
  77. ^ 山尾 1998, p. 24
  78. ^ 阿部 1960, pp. 37-51
  79. ^ 山尾 1998, p. 25
  80. ^ a b 篠川 2015, pp. 27-28
  81. ^ 山尾 1998, p. 35
  82. ^ 山尾 1998, p. 40
  83. ^ a b 山尾 1998, pp. 30-45
  84. ^ a b 篠川 2015, p. 29
  85. ^ a b c 中村 2009, p. 23



カバネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 17:03 UTC 版)

甲鉄城のカバネリ」の記事における「カバネ」の解説

不死怪物生前よりも身体能力強化されている。人間対し吸血行動取り一定時間噛み付けば相手絶命していなくても次の標的に向かう。身体に付けられた傷はすぐに塞がり頭部破壊されても活動続ける。倒すには心臓破壊する必要があり、破壊しない限り人間の血を求めて生き続ける。心臓は「心臓被膜」と呼ばれる金属の様な組織覆われており、刀や通常の銃弾では貫通困難であり、破壊には高度な技術求められる。カバネに傷を負わされた場合大半人間出血多量一時的に死亡(凝死)するが、一定時間が経つと心臓発光しカバネとしてる。また、死亡しなかった人間でも3日程度潜伏期間経過した後に凝死を経てカバネとなる。

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