秦漢
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秦漢(しんかん)とは、古代中国に成立した秦・漢2つの王朝を合わせた呼称。秦漢帝国とも称せられる。
概要
夏・殷・周といった古代中国の王朝は実態としては黄河流域にあった「中原」の一部地域を支配する国家であった。
これに対して、秦の始皇帝は中原にある六国の制圧を果たして漢民族の領域を統一して初めて皇帝を頂点とする中央集権国家を樹立した。秦は始皇帝の死後、わずかな期間で滅んだものの、楚漢戦争において勝利した劉邦が統一を回復して漢を建国した。秦と漢の国家体制には違いも存在するものの、皇帝を頂点とする中央集権国家という国家の根幹を引き継ぎ、そのために必要な法制・財政・政策などは秦のものを踏襲した。漢王朝は前漢・後漢を通して400年にわたって存続し、その後の「中華帝国」への基礎を築いた。
このため、秦漢の両王朝の支配時期は中国の基礎を確立した時代として位置づけられ、両王朝期を一まとめに呼称として「秦漢」が用いられている。
参考文献
- 孟慶遠 編/小島晋治 他訳『中国歴史文化事典』(新潮社、1998年) ISBN 978-4-10-730213-7
関連項目
秦・漢
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蒙恬の北伐(前214年)、秦の蒙恬による匈奴に対する軍事行動。 項梁の北伐(前208年)、楚の項梁による秦に対する軍事行動。項梁は、秦の章邯に敗北し斬首された。「定陶の戦い」を参照 項羽の北伐(前207年)、楚の項羽(項梁の甥)による秦に対する軍事行動。秦の章邯は鉅鹿で大敗を喫し投降した。「鉅鹿の戦い」を参照 漢の武帝の北伐(前133年~前119年)、漢の武帝による匈奴に対する軍事行動。「漢の対匈奴戦争(中国語版、英語版)」を参照 漢の宣帝の北伐(前103年~前71年)、漢の宣帝による匈奴に対する軍事行動。漢は烏孫や烏桓の協力の下、匈奴を撃破した。
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