すばえ【×楚】
読み方:すばえ
⇒すわえ
すわえ〔すはえ〕【×楚/×楉/×杪】
読み方:すわえ
《「ずわえ」「すばえ」とも》
そ【×楚】
そ【楚】
読み方:そ
春秋戦国時代の国。戦国七雄の一。揚子江中流域を領有し、都は郢(えい)。春秋中期には陳・鄭・宋などを圧迫し、晋と対立。荘王は中原の覇者となったが、前223年、秦に滅ぼされた。
しもと【×笞/×楚】
楚
楚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/20 08:09 UTC 版)
「項羽と劉邦 King's War」の記事における「楚」の解説
項羽(演:ピーター・ホー、声:内田夕夜) ドラマの主人公の1人。秦を倒し、西楚の覇王を称する。 范増(演:スン・ハイイン(中国語版)、声:中博史) 項羽の軍師。齢70を超える老人。劉邦の排除を項羽に進言する。しかし離間の策に嵌った項羽に疑われて憤死した。 虞姫(演:リー・イーシャオ(中国語版)、声:中道美穂子) 項羽の寵姫。 項伯(演:シュー・マオマオ、声:藤沼建人) 項羽の叔父。張良の親友。 英布(演:フー・ドン(中国語版)、声:咲野俊介) 驪山の囚人だったが章邯に見出されて秦軍の将となる。後に脱走して項羽軍の将となり、秦滅亡後は功労により王位を与えられた。 項荘(演:ツァイ・イーダー、声:水越健) 項羽の従弟。 項梁(演:ジュー・イェンピン、声:土師孝也) 項羽の叔父。項羽の育ての父。楚軍を率いて秦討伐を行なうが、章邯に敗れて戦死。 虞子期(演:ヤン・ズードゥオ、声:寸石和弘) 楚の将軍。虞姫の兄。 季布(演:リー・ユエン、声:宮本淳) 楚の将軍。 鍾離昧(演:イエ・ポン、声:綿貫竜之介) 楚の将軍。 龍且(演:ファン・ユィリン、声:徳本英一郎) 楚の将軍。 懐王(演:ジェン・チェンムー、 声:三浦圭介) 項梁が擁立した傀儡の楚王。後に項羽により義帝として祭り上げられ、最後は項羽の意を受けた鍾離昧に殺された。 緑衣(演:リー・フェァ、声:大井麻利衣) 虞姫の下女。 項狄(演:チィゥ・ユンフェ) 項羽の部下。虞姫の父を殺害した事が露見し趙に逃げたが自刃する。 宋義(演:イェン・ペイ) 楚の将軍。項羽に殺される。 宋襄(演:シャン・ユェ) 宋義の息子。 桓楚(演:ヤン・グァン) 楚の将軍。 余英(演:トン・リャン) 桓楚の弟。 若姜(演:コン・シャオロン]) 咸陽で虞姫に助けられ義理の姉妹となる。項羽の政略で英布の妻となる。 蒲将軍(演:リー・ガン) 楚の将軍。 曹咎(演:ソン・リー) 楚の将軍。 武渉(演:ウェン・ハイフォン) 楚の外交官。韓信と同郷で項羽に斉に派遣される。 丁公(演:リー・ヤーティェン) 楚の将軍。劉邦を討ち取る寸前まで至るが見逃す。
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楚
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「項羽と劉邦 (小説)」の記事における「楚」の解説
項羽 本作の主人公。楚の名族・項氏の出身。楚随一の名将・項燕将軍の孫だが、幼少期に楚が秦に滅ぼされ、叔父の項梁とともに流浪の身となった。始皇帝の死後、叔父に従い楚を再興して天下の動乱に身を投じ、項梁の死後は楚軍の頭目となって、全反乱軍を率いて秦を倒した。秦滅亡後は「西楚覇王」を名乗って天下の盟主となるものの、やがて反旗を翻した劉邦の漢軍との間で果てしない戦いを繰り広げることとなる。 矮小な体躯の多い江南人には珍しく、身の丈八尺(184cm)を超える大男。力も鼎を持ち上げるほどに強く、さらに戦場で敵を見れば虎のように襲いかかるその剽悍さは「猛如虎」と評され敵味方を問わずに恐れられた。気性は荒くとも臭うような愛嬌があって頭脳の回転も早く、その人柄は肉体の雄偉さと相まって人を惹きつける強い魅力になっている。しかし並外れて感情量の多い激情家で、自らの血族を篤く保護して部下を可愛がり血族の長者には慇懃な礼をもって遇するなど身内には過分なほどの温情をかける一方、邪魔者は蟻を潰すように殺すことも厭わずない。自分に叛くものは決して容赦をせず、一人謀叛者が出た土地は女子供すら逃さず全てを虐殺するといった具合で凶行を繰り返し、二十万人もの秦軍の降兵を谷底に叩き落としてことごとく坑埋めにするという凄まじい行状も平然とやってのける残忍さと冷酷さを持っている。体内で無尽蔵に作られる生気が常にのたうち回って戦場で敵を殲滅する以外に捌け口がないといった気性の持ち主で、その激しすぎる気性は戦場で無類の剽悍さを発揮させる反面、自身に政略や戦略の感覚を大きく損わせる弊害を招いた。 その武勇で楚漢戦争を通して劉邦の漢軍を圧倒し続けるが、敵対者は残らず殺し尽くすというあまりの苛烈さは、楚から民心を遠ざける結果を招くこととなった。しだいに諸侯もその足下を離れて秦の滅亡時に天下を覆わんばかりだったその軍容は徐々に数を減らし、ついには配下の楚軍の将兵にまで離反され、追いつめられた末に自ら首を刎ねて死んだ。享年三十一。その遺骸は劉邦によって黄金千枚と一万戸の封地という懸賞金がかけられており、項羽が自害するや漢兵がむらがって五分され、遺骸の破片を持ち帰った兵はそれぞれ褒章を受け列侯された。 項梁 項羽の叔父。幼くして両親を亡くした項羽を引き取り、親代わりとなって項羽を育てた。楚の滅亡後、項羽を引き連れて諸国を流浪した後に会稽郡の呉中に腰を落ち着け、名族の生まれに相応しい典雅な容儀と教養から地元民の信頼を得て一種の顔役になった。しかし陳勝・呉広の反乱の報に接し、かねてより抱いていた秦への復讐と楚の再興を成すべく群守を殺して会稽郡の長となる。その後陳勝が死んでばらばらになっていた流民軍を自身のもとに取り込んで上手く組織し、全反乱軍の最大勢力に育てあげ、やがて旧楚の王孫・懐王を即位させて楚の再興を成し遂げる。その後は官位や爵位の外に立って強い発言権を持つ「君」の地位に就いて「武信君」と名乗り、宗義など旧貴族の干渉から超然として引き続き楚軍の全権を握り続けた。 何を行うにも犀利な計算をした上で行動に移すことを信条としており、その行動には落ち度というものがない。しかし秦との戦いで勝利を重ねるにしたがってやや慢心を抱くようになり、定陶において秦軍を率いる章邯の巧緻な軍略にかかり戦死した。 私生活では男性不妊症であり、子供が作れなかった。項羽を後継者としたのはそのためである。また、郊外に奴隷上がりの愛妾が複数おり、土地を与えて。時折会いに行っているが、自分の正体は明かしていない。好みの女性のタイプは不幸そうな女性である。 范増 項羽の参謀。旧楚の居巣出身の老賢人。若年の頃から諸国の政情に関心を持ち、天下を周遊して入説家として生きてきたため、地元の賢者としてその知慧を尊ばれていたが、陳勝・呉広の乱が起こったことでかねてより夢想していた楚の再興を実現させるために腰を上げ、項梁を訪ねてその彗眼を買われて参謀となる。項梁の死後は項羽に仕え、気が短く何かと短慮な行動に走りがちな項羽の宥め役を勤めた。項羽からは「亜父」(父につぐ者)と呼ばれて格別な敬意を受け、范増自身も項羽を自らの孫のように目をかけた。 しかし滎陽の戦いの際、項羽の猜疑心の強さに目をつけた漢の謀臣の陳平の策により内通の噂を流され、流言に惑わされた項羽に失望して楚軍を去ることとなり、故郷の居巣へ辿り着く前に死んだ。憂憤のあまり死んだとも、患っていた悪性の腫物で死んだともいわれるが、漢軍との決戦を前にして項羽は最良の補佐役を失った。 懐王(義帝) 旧楚の王孫。物心もつかぬ頃に楚が滅亡して羊飼いにまで落ちぶれていたが、反乱軍の象徴として有用と考えた項梁によって楚王に擁立される。まだ二十代半ばの若者だが、王族から卑賎の身に落とされて辛酸を舐めてきただけあって決して愚昧ではない。楚が項梁によって再興されたために項梁の生存中は遠慮があり政治的実権を譲っていたが、その死後は自身が飾り物の君主であることに飽きたらなくなり、謀才のある寵臣・宗義を重用して項梁の後継者の項羽に対抗しようとした。しかし時を置かずに宗義は項羽に殺されてしまい、結局自身が権力を握ることは叶わなかった。 秦滅亡後は「義帝」の尊称を奉じられ名前だけの皇帝となるものの、南方の蛮地に飛ばされることとなる。しかしその存在をもはや用済みと考えた項羽の内命を受けた黥布により、封土に辿り着く前に殺害された。 宋義 旧楚で令尹(関白のような位)を代々務める名族・宗氏の出身で、陳勝・呉広の乱で旗揚げした項梁に力添えを申し出た。その名望が兵の徴募に有用と考えた項梁はこれを受け入れるものの、宗義が令尹として常に懐王の傍らに近侍して権勢を奮うために相対的に項梁の影が薄くなることとなり、項梁にとっては手痛い政治的失策となった。項梁の死後は後継者たる項羽から楚軍の指揮権を取り上げて楚の外交と軍事を一手に掌握し、項羽と対立することとなる。ところがほどなく隣国斉の内紛に肩入れしたことが仇となって内通を疑われ、それを口実に項羽に殺された。 項伯 項羽のもう一人の叔父で、項梁の末弟。張良とは旧知の友人同士であり、鴻門の会の際に窮地に追い込まれた張良を救うために項羽にとりなしを頼み、張良とその主の劉邦を共に助けることとなった。その後劉邦が楚に敵対するようになってからは件の行動を非難する者も現れたが、血族の長者を重んじる項羽は責め立てることはせず、この叔父に対して変わらず長幼の礼をとり続けた。 楚の滅亡後、劉邦は旧恩に謝して項伯を罰することなく手篤く遇し、劉姓を与えて「射陽候」として列侯した。 虞姫 項羽の寵姫。元は斉の貴族・虞氏の娘だったが、秦崩壊後王族の田氏が楚と対立した際に融和を唱えて国を追われ、家族とも死に別れて落魄した。以後、住む家もなく貧窮していたが、斉に侵攻した項羽が路上で寒さに震えるその姿を哀れみ、拾い上げて身の回りの世話をさせた。やがて寵姫となって「虞美人」(「美人」は後宮の女性の位)と尊称され、以後正妻のいない項羽の実質的な妻となる。人一倍愛憎の強い項羽は彼女を片時も側から離さず激しく愛し、虞姫もその過剰なまでの愛情に応えて項羽を慕い、項羽の気性そのままの苛烈な閨事にもよく耐えた。 四面楚歌を聞き、決死の敵中突破を敢行しようとする項羽が慷慨して即興詩(垓下の歌)を詠ずると、歌に滲んだ自身を伴えない項羽の無念を感じ取り、即座に剣舞を舞って詩を何度も復唱して己の意志を示した。虞姫の所作を見て取った項羽は剣を抜き、一刀の下にその命を絶った。
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楚
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「楚」の解説
張邦昌 (楊令伝)王黼亡き後の宋の宰相。勤皇の思いを胸に、劉光世に事態の収拾を依頼する。後に呉乞買の命で金の傀儡国家楚の皇帝となり、宗沢らと敵対する。南宋の再興、宋禁軍残党の軍閥化など周囲の強い圧力に耐え切れず一ヶ月程で楚を投げ出し南宋に脱出し、李綱の方針により処刑された。史実では呉乞買ではなく撻懶の河北直接統治方針に反対した粘没渇の方針により擁立された。
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楚
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諡号名在位年在位年数隠王 陳勝 紀元前210年 仮王 景駒 紀元前209年 義帝 羋心 紀元前209年 - 紀元前206年 覇王 項羽 紀元前206年 - 紀元前202年 義帝は紀元前209年 - 紀元前207年は懐王、元日に帝に推戴される。
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楚
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都は武漢、王室の姓は韓(ハン)。始祖は劉邦の武将・韓信。国王よりも諸侯の力が強く、実質的には連邦国家に近い。 韓発(ハン・ファ)近年では珍しい戦さ上手の楚王で、韓信の生まれ変わりを自認する。戦争をしたいがために王権を強化しようとするような一面を持つが、兵士たちの支持は厚い。娘婿の伯文を救うと称して蜀へ侵攻するが、飛龍に敗れ捕虜となる。飛龍の即位に伴って釈放された後、叛乱を起こした信陽公との戦いで負傷し、それが元で死亡する。 韓堅(ハン・ジェン)字は鉄成(ティエチョン)。王室の一員であり、楚王・発にも信頼された将軍。
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楚(そ)
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「キングダム (漫画)」の記事における「楚(そ)」の解説
中華南部に位置する、領土が中華全土のおよそ半分にもおよぶ大国。首都は陳。秦と並んで二大強国に数えられる。その国土の広大さから兵の動員力は七国の中で最大。しかし東西に延び切った長大過ぎる防衛線により燕を除いた五カ国に備えなければならないため、他国への侵攻には慎重な構えを取っている。製鉄技術の先進国としても知られる。 什虎軍(じゅうこぐん) 「キングダムの登場人物一覧#什虎軍」も参照 かつて祖国を滅ぼされながらもその後も楚軍と戦い続けてきた亡国の残党で構成された異質の軍団。祖国が滅ぼされた後も幾度も楚軍と戦い続け、楚軍を相手に敗れなかったため楚国が諦めて、彼らの生存を許した。寿胡王曰く什虎軍は楚軍であって楚軍にあらず、什虎軍は楚軍と戦い続けそれらを返り討ちにしてきた怪物達だが、楚の策略で全てを失い、我らは何も背負うものを持っていないという。春申君により秦・魏・韓・楚の四カ国にとっての大重要拠点・什虎を与えられ、そこを根城としている。
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楚
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「ミーユエ 王朝を照らす月」の記事における「楚」の解説
役名 演 紹介 備考 声 威王 趙文瑄(ウィンストン・チャオ) 王羋槐、羋茵、羋姝、ミーユエ、羋戎の父。覇星の予言に男子の誕生を期待するも、生まれたのが女子のミーユエだったため落胆する。ミーユエのことは庶出の娘として人並みに可愛がり、母の向氏が威后に虐げられていたことを知ると、威后を厳しく叱責した。ミーユエが幼いころに亡くなる。 芒萊 威后 姜宏波(中国語版) 王后威王の正室。羋槐、羋姝の母。羋茵の養母。覇星の予言を受けて生まれたミーユエを、わが子の立場を脅かすとして敵視し、事あるごとに虐げる。羋姝がミーユエと親しくすることを良く思っていない。 廖菁 玳瑁 李蓓蕾 威后の忠実な侍女。後に羋姝に付いて秦へ赴き、秦でミーユエを虐げる。羋姝には慕われている。 向氏 孫茜(中国語版) ミーユエ、羋戎、魏冄の母。元は莒姫の侍妾。ミーユエを産んだことで威后から敵視され、さらに羋戎を産んだために、威后の策で王宮から追放された。このとき威后によって農夫の元に放り込まれ、強姦されて魏冄を産んだ。ミーユエが幼いころに亡くなる。 李世栄 羋戎 李泓良 威王の庶公子→華陽君→新城君威王と向氏の息子。ミーユエの弟。魏冄の異父兄。ミーユエが秦へ赴いた後も楚に残った。 史実では魏冄の異父弟。 李慶誉(2歳) 李澤鍇(7-8歳) 楼子鉉(11-12歳) 莒姫 蔣欣 威王の寵妃。莒(中国語版)の公主。ミーユエと羋戎の養母。幼いミーユエと羋戎を威后から守り、ある策によって亡くなる。 架空の人物。 蔣欣 羋槐 曹征 威王の太子→王→懐王威王と威后の息子。羋姝の兄。羋茵、ミーユエ、羋戎の異母兄。体臭を気にしている。楚を衰退に導く。 羋茵 徐梵渓(中国語版) 威王の庶公主→燕の宰相夫人威王と斉の公主の娘。威后の養女。羋槐の異母妹。羋姝、ミーユエ、羋戎の異母姉。ミーユエを生母の身分が低いと見下す。楚では黃歇に想いを寄せていた。後に年の離れた燕の宰相に嫁ぎ、燕に来たミーユエたちを虐げる。 架空の人物。 徐梵渓 孫晨熙(8歳) 鄭袖(中国語版) 袁志博(中国語版) 南后懐王の寵妃。懐王との間に男子・羋蘭を産む。威后と不仲で、威后がミーユエを嫌っていることを知り彼女の肩を持つようになる。 史実では頃襄王の母。南后に封じられた妃と同一人物かについては諸説ある。羋蘭の母については不明。 魏美人 何杜娟(中国語版) 懐王の妃。魏王から楚に贈られた美女。鄭袖の嫉妬を避けようと、懐王によって章華台に隠されていた。ミーユエと親しくなる。排簫の演奏が得意。 唐燁 羋横 蘇航 懐王の太子→王→頃襄王懐王の息子。黄歇を学友とする。 史実では母は鄭袖。 呉博林(13歳) 周奇(中国語版)(16歳) 屈原 祖峰 大臣黄歇とミーユエの師。威王と懐王の二代に仕える。 靳尚(中国語版) 姜峰(中国語版) 宰相鄭袖と手を組む。屈原と対立する。 摯先生 師春玲 医者。ミーユエの出生時に威后に脅される。ミーユエたちには同情的。羋姝に付いて秦へ赴き、ミーユエの出産にも立ち会う。 唐眜 劉奕君(中国語版) 太史令ミーユエ誕生の直前、覇星の誕生を予言する。当然男子が生まれるものと思っていた威王の怒りを買う。
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楚
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「戦国時代の人物一覧 (中国)」の記事における「楚」の解説
君主 楚恵王章 楚簡王中 楚声王当 楚悼王疑 楚粛王臧 楚宣王良夫 楚威王商 楚懐王槐 楚頃襄王横 楚考烈王完 楚幽王悍 楚哀王猶 楚王負芻 公族和封君 魯陽文君(『渚宮旧事』、曾侯乙墓) 陽城君(曾侯乙墓、『呂氏春秋』) 平輿君(曾侯乙墓) 養君(曾侯乙墓) [集阝]君(曾侯乙墓) 䣓君(曾侯乙墓) 䣄君(曾侯乙墓) 屈宜臼、『淮南子』は屈宜若と作る。楚の大夫(『説苑』) 子蘭(『史記』屈原賈生列伝) 山陽君(『戦国策』楚策一) 彭城君(『戦国策』楚策一) 安陵君壇(『戦国策』楚策一) 春申君黄歇 昌平君(『史記』秦始皇本紀) 屈原、楚国公族のひとつである屈氏に属する 昭雎(『史記』楚世家)、楚国公族のひとつである昭氏に属する 景舎(『戦国策』楚策一)、楚国公族のひとつである景氏に属する 昭陽(『史記』楚世家)、楚国公族のひとつである昭氏に属する 屈匄(『史記』楚世家)、楚国公族のひとつである屈氏に属する 景陽(『史記』楚世家)、楚国公族のひとつである景氏に属する 荘蹻(『史記』西南夷列伝)、楚の荘王の后 景差(『史記』屈原賈生列伝)、楚国公族のひとつである景氏に属する 文官 穆賀(『墨子』貴義篇) 右尹黒(『史記』六国年表) 江乙、もとは魏の人(『戦国策』楚策一) 昭奚恤(『戦国策』楚策一、『韓非子』) 靳尚(『史記』楚世家) 陳軫(『史記』楚世家) 李園(『史記』楚世家) 武官 中子化(中子化盤銘文) 呉起 、もとは衛の人(『史記』呉起列伝) 唐眜 (『史記』楚世家) 逢侯丑(『史記』楚世家) 項燕 女性 江乙母(『列女伝』) 鄭袖(『史記』屈原賈生列伝) その他 公輸盤、魯班とも(『墨子』魯問篇) 孟勝、墨子の弟子(『呂氏春秋』) 徐弱、孟勝の弟子(『呂氏春秋』)
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楚
「楚」の例文・使い方・用例・文例
- あなたの清楚な雰囲気は素敵です。
- あなたはとても清楚ですね。
- 私は清楚です。
- これじゃあまるで四面楚歌だ。
- あんな四面楚歌の状態で、彼よく仕事してられるよな。
- 彼は四面楚歌にひるんだが無理に空元気をよそおった.
- 非戦論を唱える者は自分ひとり, 内村は四面楚歌の中にある思いがした.
- 四面楚歌の声
- 彼はいつも清楚な服装をしている
- 四面皆敵(四面楚歌の声)
- 荊楚学派という,老荘学を奉ずる学派
- 楚という,刑罰時に用いる打つための道具
- 楚というむちで打つこと
- 中国の楚の国の歌
- 中国の戦国時代の斉,楚,燕,韓,魏,趙の六つの国
- 令尹という,中国の楚の国の官位
- 令尹という,中国の楚の国の官位にある人
- 日本からの791点の応募作品の中で,最もよく選ばれた熟語は「四(し)面(めん)楚(そ)歌(か)」だった。
- 彼の「四面楚歌」の漫画は花畑の真ん中で動くことができないブルドーザーを表している。
楚と同じ種類の言葉
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