羋戎とは? わかりやすく解説

羋戎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 22:59 UTC 版)

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羋 戎(び じゅう、紀元前332年 - 紀元前262年)は、中国戦国時代後期の公族であり政治家[1]。秦の昭襄王の生母の宣太后恵文君夫人)の弟。

生涯

秦の昭襄王の時代に華陽君の号を与えられ仕えた。初期は姉の宣太后と異父同母兄弟の魏冄と合わせて三貴、後には魏冄、甥の涇陽君(公子巿)・高陵君(公子悝)と合わせて四貴と呼ばれ、長期に渡り秦国内で王と並ぶ権力を持った[2]

羋戎は楚にいた頃に罪を犯し、東周へ逃れた。楚の懐王22年(紀元前307年)、急逝した秦の武王の後継を内部闘争の末に宣太后の異父同母弟である魏冄の支持を受けた公子稷(後の昭襄王)が他の公子らを退け、昭襄王となり秦王を継いだ[3][4]。その際、宣太后の招き[5]で秦に入り、左丞相として魏冄と共に秦の朝政を取り仕切った[6][7]

昭襄王9年(紀元前298年)、孟嘗君主導で結成されたの三国合従軍が函谷関に攻め寄せた際は秦軍の総司令官を務め、斉の匡章率いる合従軍の攻撃から函谷関を守っている(函谷関の戦い)。

姉の宣太后の元、異父同母兄弟の魏冄、甥の涇陽君(公子巿)・高陵君(公子悝)と合わせて四貴と呼ばれ秦の昭襄王をも凌ぐ権力を秦国内で保ち続けていたが、昭襄王42年(紀元前265年)に范雎の奏上で宣太后が廃位、羋戎ら四貴も罷免され、その権力を奪われると関中から追放され封地にて余生を過ごすこととなり、羋戎は昭襄王45年(紀元前262年)に死去した[8]。昭襄王はこれにより自らの王権体制を整えることとなり、政権が一本化した秦の力は六国をより圧倒する事となる。

脚注

  1. ^ 戦国策』秦策三
  2. ^ 『戦国策』秦策三:応侯謂昭王:利尽帰於陶;国之幣帛,竭入太后之家,竟内之利,分移華陽。
  3. ^ 史記』穣侯列伝:武王卒,諸弟争立,唯魏厓力為能立昭王。昭王即位,以厓為将軍,衛咸陽。誅季君之乱,而逐武王后出之魏,昭王諸兄弟不善者皆滅之,威振秦国。昭王少,宣太后自治,任魏厓為政。
  4. ^ 『古本竹書紀年』魏紀:秦内乱,殺其太后及公子雍・公子壮。
  5. ^ 戦国策では楚の説客・獻則が秦の大臣・公孫消に宣太后からの覚えを良くし、宰相となるために羋戎の招聘を説いている。戦国策 巻三 秦上 昭襄王(上)一〇三-一〇四頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 『史記』穣侯列伝
  7. ^ 『史記』范雎蔡沢列伝
  8. ^ 『史記』范雎蔡沢列伝:范雎日益親,復説用数年矣,因請間説曰:…聞秦之有太后・穣侯・華陽・高陵・涇陽,不聞其有王也…今臣聞秦太后・穣侯用事,高陵、華陽、涇陽佐之,卒無秦王,此亦淖歯・李兌之類也…昭王聞之大懼,曰:善。於是廃太后,逐穣侯・高陵・華陽・涇陽君於関外。

参考文献


羋戎(び じゅう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)

達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「羋戎(び じゅう)」の解説

華陽君。孟嘗君連合軍率いて函谷関攻めてきた際の秦軍総帥連合軍鄭奐率い一軍をぶつけるも、鄭奐敗死を受け即座に和睦申し出るこの際敗北苦渋理不尽知った白起その後旧来の戦の慣例無視した覇業の志を抱くに至る。

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