懐王とは? わかりやすく解説

懐王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/10 09:12 UTC 版)

懐王 熊槐
第21代王
王朝
在位期間 前328年 - 前299年
都城
姓・諱 熊槐
諡号 懐王
生年 不詳
没年 頃襄王3年(前296年
威王
后妃 南后
鄭袖

懐王(かいおう)は、中国戦国時代(在位:紀元前328年 - 紀元前299年)。頃襄王の父。

略歴

張儀の謀略に引きずり回され、国力を消耗し、最後は秦との戦いに敗れ秦に幽閉されたまま死去した。戦国時代の暗君の代名詞的存在と目され、楚の悲劇の象徴とされた。

子孫

孫(一説に玄孫)が、項梁に反秦軍の象徴として担ぎ出され即位するも、実権を持たず、疎んじられたすえに殺された、同様に懐王と呼ばれた後の義帝である。

脚注

参考文献

関連項目

先代
威王
前328年 - 前299年
次代
頃襄王

懐王(義帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:48 UTC 版)

項羽と劉邦 (小説)」の記事における「懐王(義帝)」の解説

王孫物心もつかぬ頃に滅亡して羊飼いにまで落ちぶれていたが、反乱軍象徴として有用考えた項梁によって楚王擁立される。まだ二十代半ば若者だが、王族から卑賎の身に落とされ辛酸舐めてきただけあって決し愚昧ではない。項梁によって再興されたために項梁生存中は遠慮があり政治的実権譲っていたが、その死後自身飾り物君主であることに飽きたなくなり、謀才のある寵臣宗義重用し項梁後継者項羽対抗しようとした。しかし時を置かず宗義項羽殺されてしまい、結局自身権力握ることは叶わなかった。

※この「懐王(義帝)」の解説は、「項羽と劉邦 (小説)」の解説の一部です。
「懐王(義帝)」を含む「項羽と劉邦 (小説)」の記事については、「項羽と劉邦 (小説)」の概要を参照ください。

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