楚への復讐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:40 UTC 版)
紀元前313年、張儀は対楚工作に入り、楚に対し商・於の地六百里四方を割譲するから、斉との同盟を破棄して欲しいと申し入れた。楚の懐王は喜んでこれに応じ、斉との同盟を破棄して、将軍に秦に領土を受け取りに行かせたが、張儀は六里四方の土地を割譲すると言った。これに楚の将軍は約束は六百里だと猛烈に抗議するが張儀はとぼけて相手にしなかった。 懐王は大いに怒り、秦に対し出兵したが、大敗する(藍田の戦い)。その後、秦から楚に土地を割譲する事で和睦しようという交渉が持ちかけられたが、懐王は「土地など要らぬ。張儀の命が欲しい」と言い、これに答えて張儀は楚に行った。張儀には生還する策があった。懐王の寵姫に人を使って「秦は張儀の命を救うために懐王に財宝と美女を贈るつもりです。もしそうなったらあなたへの寵愛はどうなるでしょうな」と言わせ、不安に思った寵姫は懐王に張儀を釈放する事を願ったので懐王は張儀を釈放した。こうして張儀は強国である斉と楚の同盟を崩した上で楚を叩き、和睦にも成功することで合従を崩した。 その後、恵文王が死に、張儀とは不仲であった太子蕩が即位し武王となった。張儀は誅殺を恐れ、策があるからと言って魏に逃げ、魏の宰相となって一年後に没した。
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