楚の斉への侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:01 UTC 版)
威王の8年(紀元前371年)に楚の粛王は大軍を率いて、斉を討伐した。威王は淳于髠を使者として趙に派遣させ、その際に百斤の黄金と四頭立ての馬車と馬を十台分を持参するように命じた。淳于髠はそれを知ると身をそらせて天に向かって大笑いした。そのときに淳于髠の冠のひもが切れてしまった。 淳于髠を見た威王は「先生は持参する贈り物が少ないと判断されたのか?」とたずねた。淳于髠は「いえ、そうでもありません」と述べた。しかし、威王は「先生が大笑いしたのは何か理由があるからでしょう」と言った。すると淳于髠は「先ほど私は東方からここに参ったのですが、道端で田の神を祀って祈願する者を見かけました。彼は豚の脚先ひとつと一椀の酒を持参して、「高い痩地でも籠いっぱい、低い肥地なら車いっぱい、五穀みなみな豊かに実って、たんまりと家がいっぱいになりますように」と述べておりました。私が王から持参を命じられた荷物を見て、なんと貧弱であるなと思い、王の望みがそれと比較して大きいと思いついに笑ったのでございます」と述べた。これを聞いた威王は急遽千溢の黄金、十双の白い璧玉、四頭立ての馬車と馬を百台分に変更させた。 淳于髠は趙の成侯に謁見して、成侯は斉に対して十万の精鋭と千台の戦車を貸し出してくれた。楚の粛王はこの報を聞くと、その夜のうちに引き揚げた。
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