向寿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 00:09 UTC 版)
向 寿(しょう じゅ、生没年不詳)は、中国戦国時代末期の秦の政治家。宣太后の甥[1]で公子稷(後の昭襄王)と共に育てられ[2]、その即位後は大臣として仕え甘茂の亡命後に丞相となった[3]。
経歴
武王3年(紀元前308年)、武王の使者として甘茂と共に魏へ向かい、後に甘茂の意向で先に帰国しその伝言を武王に伝えた[1]。
昭襄王の時代になり、向寿は宣陽を平らげ楚韓と対峙した[2]。のちに甘茂は武遂を韓に返還する事を昭襄王に進言し、向寿と公孫奭はこれに反対したが聞き入れられなかった。向寿と公孫奭はこれを恨んで甘茂を讒言する様になり、恐れた甘茂は亡命してしまった[4]。
昭襄王13年(紀元前294年)に韓を攻め、これを伐って武始を取った[5]。
昭襄王14年(紀元前293年)、罷免された。
脚注
- ^ a b 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝165頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝168頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝173頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝170-171頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『史記』巻五「秦本紀第五」史記 巻五 秦本紀第五185頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
向寿(しょう じゅ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)
「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「向寿(しょう じゅ)」の解説
秦のかつての将軍。秦が韓の新城を攻めた際の総大将。一軍の将としては初陣だった白起が諸国間の戦の慣例を破ったことを昭王の前で弁護したが、白起の説く覇業を容れた昭王と魏冄により将軍職を解かれてしまう。
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