向寿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 00:09 UTC 版)
向 寿(しょう じゅ、生没年不詳)は、中国戦国時代末期の秦の政治家。宣太后の甥[1]で公子稷(後の昭襄王)と共に育てられ[2]、その即位後は大臣として仕え甘茂の亡命後に丞相となった[3]。
- ^ a b 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝165頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝168頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝173頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『史記』巻七十一「樗里子甘茂列伝」和訳史記列伝 第十一 樗里子甘茂列伝170-171頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『史記』巻五「秦本紀第五」史記 巻五 秦本紀第五185頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 1 向寿とは
- 2 向寿の概要
向寿(しょう じゅ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)
「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「向寿(しょう じゅ)」の解説
秦のかつての将軍。秦が韓の新城を攻めた際の総大将。一軍の将としては初陣だった白起が諸国間の戦の慣例を破ったことを昭王の前で弁護したが、白起の説く覇業を容れた昭王と魏冄により将軍職を解かれてしまう。
※この「向寿(しょう じゅ)」の解説は、「達人伝-9万里を風に乗り-」の解説の一部です。
「向寿(しょう じゅ)」を含む「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事については、「達人伝-9万里を風に乗り-」の概要を参照ください。
- >> 「向寿」を含む用語の索引
- 向寿のページへのリンク