宰相魏冄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:33 UTC 版)
宰相として重用されていた楼緩は、先の趙王の武霊王の命で秦に来ていた。趙は楼緩が秦で宰相をしていることを自国の不利と考え、仇液という者を秦に遣わせて、魏冄を宰相とするように請うた。昭襄王はそれに従って紀元前295年楼緩を免じて魏冄を宰相とした。 紀元前294年、旧知の間柄である向寿に命じて韓を討ち、武始の地を取った。向寿は、幼いときから昭襄王と一緒に成長したので、重用されていた。また任鄙を蜀の漢中の郡守とし後顧の憂いを絶った。
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