郡守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 06:42 UTC 版)
郡守(ぐんしゅ)は、古代の中国、現代の韓国における郡の長官である。
秦漢
中国では、秦代に郡の民政を担当する長官を郡守といった。郡守と、軍事を担当する郡尉、監察を担当する郡監の3人が郡の統治の頂点にあった。漢も郡守を踏襲したが、景帝2年(紀元前155年)に太守と改称した[1]。
秦漢の郡守は、以下六項目の極めて重大な権力を有した。
「第一、本府官吏に対する絶対的統制権。第二、属県行政に対する絶対的統制権。第三、郡境の官吏人民を中央に推挙する特権。第四、刑獄に対するほぼ絶対的決断権。第五、地方財政に対するほぼ絶対的支配権。第六、地方軍隊に対する相当の支配権」
『睡虎地秦簡』語書に見える南郡の郡守の職掌は、「第一、属県の官吏人民の犯法行為を弾劾すること。第二、状況に応じて国家法律を補修訂正すること」とある。
朝鮮・韓国
かつての李氏朝鮮(朝鮮王朝)の時代、現在の大韓民国で、郡の長官を郡守という。
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脚注
参考文献
厳耕望『中国地方行政制度史 甲部:秦漢地方行政制度』中央研究院歴史語言研究所、1961年。
関連項目
郡守
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高畠怡三郎 城戸彦市 柴田虎狼 藤田淳教:1928年10月 - 豊澤勇治:1931年5月 - 島浦精一 飯島稔:1936年1月-1937年11月。 五野静輝:1937年11月-1939年7月。 波多野勇:1939年7月-1942年7月。 佐川義勇:1942年4月 -
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