1937年11月とは? わかりやすく解説

1937年11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:33 UTC 版)

トラウトマン和平工作」の記事における「1937年11月」の解説

11月03日、クレーギーイギリス大使より堀内次官ところへ九ヵ国条約会議に関する重要な情報もたらされた。それは会議に臨む諸国基本姿勢伝えたのである大使本国政府対しブリュッセル会議においては 1.対日制裁論議すべからず。 2.来だ適当の時期にあらざるを以て即時調停又は斡旋決すべからず。 3.此の際東亜に特殊の利害関係あるに、三国より成る小委員会設置して日支問題関し連絡保持せしめ適当の時期俟ち一国又は数国にて斡旋をなす途を開き置くべく要する此の際将来に於ける単独斡旋の途を全然閉塞せざること最も肝要なる。 旨の意見上申。 したのである。しかも、「右意見当地ニテ米、仏、白三国大使ニモ之ヲ内諾シタルニ何レモ賛成三国大使ヨリ夫々本国政府上申セル次第ニシテ武府会議ニ対シ相当効果アルモノト思考ス」とも言っている。すなわち、イギリス側は、集団力による対日制裁方向否定し日本が力をいれている第三国仲介通して対中国直接交渉方向同調したのである。これは日本推進している「トラウトマン工作」に一気拍車駆け結果となったのである第二次上海事変で、蔣介石ドイツ式精鋭部隊をすべて失った一方広田いわゆる第1条件を提示した。そして同時に広田戦争継続される場合には、この条件はるかに加重されるであろう強調した。 実は7月29日閣議承認されたもので、開戦前事態収拾案である。参謀本部はこの戦争局地戦考えていた。戦果による条件改変考えていなかったし外交属することは関与避けた。ただこの時参謀本部情報部はかなり正確に国民革命軍国府軍)の暗号解読していたとみられ、国民党政府内部情況ついてよ把握していた。蔣介石日本側の和平提案ブリュッセル会議関心をもったため国府軍の全面退却はやや遅巡しており結果として混乱歓迎する面もあった。 11月上旬広田から日本和平条件7項目をディルクセン駐日ドイツ大使接受しベルリンアドルフ・ヒトラー諒承得てトラウトマン大使王寵恵外交部長日本意向伝えたが、王は蔣介石意見として、『中国国際連盟提訴してあり、九カ国条約関係国ブリュッセル会議中なので、その結果を見るまでは、日本条件を考応すべきではない』との返事をした。11月2日広田第1条件をディルクセンに手渡し11月3日にディルクセンはドイツ外務省会談模様報告し、「日本確かに上のような条件基礎とした和平希望している。もし南京政府がこれらの条件受け入れなければ日本は、中国最後崩壊まで無情に戦争続け決心である。私の意見では、これらの条件極めて穏健であり、南京面子失わずにこれらの条件受け入れることができよう。われわれは現在、これらの条件受諾するよう南京圧力加える必要があろう」と述べたドイツ外務省日本側の示した条件交渉開始基礎として妥当なものと判断し同日トラウトマン大使宛てにこれを中国側伝えるよう訓令した。11月5日蔣介石第1条件を入手した1.外蒙と同じ国際的地位を持つ内蒙自治政府樹立。 2.華北に、満州国境より天津北京にわたる非武装地帯設定中国警察隊が治安維持。ただちに和平成立するときは華北の全行政権南京政府委ねられるが、日本としては長官には親日的人物希望する。もし直ち和平成立しない場合新し行政機関設け必要がある。この新機関は平和が結ばれた後にもその機能継続する(ただし今日までのところ日本側には華北新政権設立する意向はない。)。 3.上海非武装地帯拡大し国際警察により管理する。 4.排日政策停止。 5.中ソ不可侵条約矛盾しない形での共同防共。 6.日本製品対す関税引き下げ。 7.中国における外国人権利尊重上記条件では満州国の正式承認要求していない。 11月6日トラウトマンは、孔祥熙実業部長だけが列席している場で蔣介石日本側の意向伝えた蔣介石は、現在これに応じられない回答した蔣介石第一次案がトラウトマンより示され時にこう述べた、「日本側が事変前の状態に復帰するのでない限り、どんな要求受諾できない」、「もし自分がこの(日本側の)条件受諾したら、わが政府世論大浪押し流されてしまうだろう。…日本やり方でわが政府倒されれば、共産主義政権誕生するだろうが、その結果日本にとって和平機会消滅である。共産主義者決し降伏しないだろうからである」と極秘述べた一部分条件については討議し友好なる諒解求めることもできるが、これらはすべて事変前の状態に回復することを前提しなければならない」と強い口調返答したのである蔣介石事変前の状態回復強く主張したのは、彼自身説明によれば、もし、日本側の要求受諾すれば、中国政府世論によって押しつぶされ中国革命が起こるだろうという判断よる。中国抵抗によって勝利をかち取る可能性はないが、中国政府崩壊共産党中国優位占めること、すなわち、日本中国講和永遠に不可能である、ということになる。それでは、中国側が言う事変前の状態と具体的にどういう内容だったのだろうか。石射局長記録によれば、ディルクセン大使から次のような中国側和平解決条件もたらされた。 1.北支 北支主権領土行政完整確保し得れは経済開発、及資源供給関し当の譲歩をなす。各国駐兵権全部放棄せしむれは最も可なるも、然らされは日本駐兵義和団条約規定地域とし、兵カは列国との振合に応し別に条約を以て定む。 2.上海 (a)8月13日以前原状復す (b)上海停戦協定所定地域に於て武装団体防御施設禁止に関する如き事項国際協定を以て規定す。日本列国の上に於ける駐兵軍事施設租界守備誠に必要な最小限度減し、其兵かは現共同委員会又は別の委員会に於て研究決定す、右有効期限を当分5年とす。 (c)前項区域は略現停戦協定区域とし之を著しく拡張する不可なり。 これを概観するとわかるように、中国最大関心は、華北における中央の主権日本駐兵に開する制限実現することであった蔣介石は、開催中ブリュッセル会議において、なんらかの形で対日制裁決議されるものと期待していたので回答留保したその他に国民政府ソ連の対日参戦交渉行っており、その回答待っていたことも回答留保した理由1つである。 上海陥落前日11月11日蔣介石首都南京で、南京放棄するか、死守するか、李宗仁白崇禧何応欽唐生智徐永昌ドイツの軍事顧問団団長アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンといった将軍らと善後策諮っていた。李宗仁は「私は南京防守反対である。その理由戦術上、南京は他と隔絶しており、敵は三方から包囲可能で、しかも北面長江によって退路阻まれている。今、挫折敗北喫した部隊孤城防衛配置しても、長く守ることは望みがたい」と述べたドイツ人顧問もこれに賛成し無用の犠牲生まぬよう、南京放棄を「極力主張」した。このように南京放棄論が大勢占めていたが、突如唐生智南京死守力説する。そこで、蔣介石は、「わが血肉をもって南京城生死共にする」と誓う唐生智南京防衛軍司令官任命し南京死守決定した。しかし、唐は後に徹底抗戦叫びながら降伏の手続きをせずに逃亡してしまう。 だが日本はなお和平への望みあきらめずブリュッセル会議最終日11月15日広田アメリカグルー大使に「日本軍の上海での作戦順調だこれ以上支那軍追撃する必要はない。この時期に平和解決を図るのは支那自身のためになり、支那政府南京放棄するのは非常に愚かなことだ」等を述べ、現在ならば日本講和条件穏当なのであるので、アメリカ蔣介石対し和平交渉応ずうよう説得してほしいと希望し、もし支那側に和平意思があるなら、日本代表者上海派遣しようとまで語った蔣介石大場鎮(上海近郊陥落をもって敗北とみなす軍事顧問ファルケンハウゼン進言を容れず、また英米などの干渉により日本国府軍の殲滅乗り出さず戦線維持できる観測した広田への回答はせず引き延ばし図った首都南京からの撤退蔣介石反対し、固守方針定めた11月20日重慶への「遷都宣言」で蔣介石は「盧溝橋事件発生以来日本侵略止まる事を知らず各地将士奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」と述べ戦争固執した壊走した国府軍への日本軍の網は締まりつつあった。国民党政府要人誰もが11月中旬には破滅的な事態となりつつあることを認識し始めた11月28日から蔣介石第1条受諾根回し開始した12月2日午後4時南京にて、蔣介石徐永昌唐生智白崇禧顧祝同銭大鈞らを招集し日本側の条件についての意見求めた和平条件に「華北の全行政権南京政府委ねる」が記載されているため、白崇禧は「こんな条件ならなぜ戦争するのか」、徐永昌は「これだけ条件なら承認してよい」と述べた顧祝同受諾賛成最後に唐生智が「みなが賛成なら賛成でいい」といったという。最後に蔣介石は「ドイツ調停拒否すべきでない」「華北政権保持しなければならない」と言明した

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