1937年09月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:33 UTC 版)
「トラウトマン和平工作」の記事における「1937年09月」の解説
事変の収拾に関する日本政府の基本的立場は、あくまで日中間の問題として解決し、第三国の斡旋や干渉を排除するというものであった。しかし、9月に入り、長期戦の様相となると、軍事目的の達成に応じて「第三国の好意的斡旋」を活用する和平も視野に入ってくる。まず名乗りをあげたのはイギリスであった。9月中旬、新着任のロバート・クレイギー駐日大使が仲介の可能性について広田外相に打診を行い、広田は具体的な和平条件を提示している。それは、華北の非武装地帯の設定、排日取締りと防共協力を条件に華北政権の解消と国民政府の行政容認、満州国の不問などであった。これらの条件は蔣介石に伝えられたが、国際的な圧力や制裁を期待する蔣は受諾に否定的であった。このとき国際連盟では、中国政府の提訴を受け9月中旬から日中紛争を審議中であった。
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