停戦協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:41 UTC 版)
3月3日に、イラク代表が暫定休戦協定を受け入れたが、イラク軍の主力は多くが温存され、この温存兵器が後の懸案事項となった(終戦直後に南部シーア派住民と北部クルド人が反フセイン暴動を起こしたが、米英の介入はないと見たフセイン大統領は温存した軍事力でこれらを制圧し、首謀者ら多数が殺害されたといわれる)。 国連では1ヵ月後の4月3日に「クウェートへの賠償」、「大量破壊兵器(生物化学兵器)の廃棄」、「国境の尊重」、「抑留者の帰還」などを内容とする安保理決議687号が採択された。4月6日にイラクが受諾して正式に停戦合意、4月11日に687号は発効した。1995年4月に安保理が石油交易を部分的に許可する決議をしたが、イラクは全面解除以外に受け入れられないと拒否した。また、核開発防止のための国際原子力機関(IAEA)査察を拒否し、長期間にわたる経済制裁を受けることとなった。 その後の詳細はイラク武装解除問題およびイラク戦争を参照。
※この「停戦協定」の解説は、「湾岸戦争」の解説の一部です。
「停戦協定」を含む「湾岸戦争」の記事については、「湾岸戦争」の概要を参照ください。
「停戦協定」の例文・使い方・用例・文例
- 停戦協定のページへのリンク