停戦への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 01:10 UTC 版)
「ガザ紛争 (2008年-2009年)」の記事における「停戦への動き」の解説
戦闘開始が年末で、多くの諸外国がクリスマス及び年末年始の休暇の時期に入っていたことから停戦調停が遅れ、戦闘が長引く要因になった。 ハマースの代表団は1月9日夜、カイロ入りし、仲裁国のエジプトと停戦交渉に入った。エジプトによる停戦案にイスラエル側は原則同意の方針を示したが、ハマースの在外指導部はこれを拒否した。その他にも国際連合やフランスなどから停戦案が提示されたが、どれも合意には至らなかった。 戦闘開始から3週間たった1月17日、イスラエルは一方的な「停戦宣言」を出し部隊の引き上げを始めた。ただし、この停戦は上記のエジプト仲介による停戦プロセスとは関係がない。直後、ハマースも抗戦を停止した。その後イスラエル軍は、アメリカのバラク・オバマ新大統領が就任した20日にガザの市街地からの撤退を完了した。
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