停戦と撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 05:58 UTC 版)
エジプトの降伏は目前かと考えられたが、ここでアメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領が、冷戦で対立していたソ連のニコライ・ブルガーニン首相(英仏イスラエルへのミサイル攻撃を主張する強硬派であった)とも手を組み、停戦と英仏イスラエル軍の即時全面撤退を通告した。連合国として賛成すると考えていたアメリカが事実上エジプト側に回ったことは、侵攻3カ国にとって大きな誤算であった。 国連では、英仏の拒否権行使を押し退けて米ソが採択させた国際連合安全保障理事会決議119によって平和のための結集決議に基づく特別緊急総会が招集された。英・仏・イスラエルに対し即時停戦を求める決議を求める総会決議997が11月2日に採択された。アメリカ・国連・ソ連により圧力を受け、11月6日に英仏が停戦受諾、11月8日にはイスラエルも受諾し、全軍の停戦に至った。イスラエル軍の撤退後、休戦ラインのエジプト側にはPKOとして第一次国際連合緊急軍(UNEF)が展開された。これは当時のカナダのレスター・B・ピアソン外相の提案であり、ピアソンは翌年にノーベル平和賞を受賞した。
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