停戦と武装解除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:23 UTC 版)
「民族解放軍 (マケドニア共和国)」の記事における「停戦と武装解除」の解説
オフリド合意によって、民族解放軍は停戦に合意した。オフリド合意では、マケドニア共和国政府は人口の25%程度を占めるアルバニア人の民族的権利の向上を約束した。これによって、アルバニア語は一部の自治体の公用語となり、アルバニア人のマケドニア共和国政府機関、警察、軍への参画が進められた。オフリド合意ではまた、マケドニア共和国は地方分権化を約束した。他方、アルバニア人はあらゆる分離主義的要求の放棄と、マケドニアの諸機構の完全な承認に合意した。加えて、合意では民族解放軍は武装解除され、武器は北大西洋条約機構(NATO)に引き渡すこととなっていた。「欠かせない収穫」作戦は8月22日に公的に着手され、実効的には8月27日から始まった。30日間の作戦にはおよそ3500人のNATOとマケドニア政府軍の兵士が、民族解放軍の武装解除と武器の解体を進めた。NATOが作戦を始めた1時間後、民族解放軍のアリ・アフメティは、シプコヴィツァ(Шипковица / Šipkovica / Shipkovica)にある解放軍の本拠地にて、報道関係者が集まる中で記者会見を行い、民族解放軍を解体を発表し、今は民族間の調和の時であると述べた。2001年、アメリカ合衆国はコソボ解放軍と民族解放軍をテロリストと認定していた。 アリ・アフメティに率いられたアルバニア人の民族解放軍の成員らによって、後に政治政党の民主統合連合が結成された。党は2002年の議会選挙では多くのアルバニア人からの支持を集め、マケドニア社会民主同盟(SDSM)と連立を組み、2006年7月まで与党の一翼を担った(この後にVMRO-DPMNEとアルバニア人民主党の連立にとって代わられた)。政府側、解放軍側の双方の死傷者数は正確には知られていないが、それぞれ60人前後としている。
※この「停戦と武装解除」の解説は、「民族解放軍 (マケドニア共和国)」の解説の一部です。
「停戦と武装解除」を含む「民族解放軍 (マケドニア共和国)」の記事については、「民族解放軍 (マケドニア共和国)」の概要を参照ください。
- 停戦と武装解除のページへのリンク