停戦とPLO追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:42 UTC 版)
「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の記事における「停戦とPLO追放」の解説
その後、「ヨルダンとシリアによる全面的戦争状態への突入」、「イスラエルとシリア間の開戦」というような事態への拡大を恐れたアメリカやソビエト連邦の意を汲んだエジプトのナセル大統領がヨルダンとシリア、PLOの仲介に入り、その結果、PLOの受け入れを表明したレバノンへPLOが本部を移転させることに合意したことで9月27日に停戦となった。 しかしヨルダンおよびフセイン1世国王は、アラブ連盟の総意で設立されたPLOを攻撃したことで連盟各国から強い非難を浴びることとなる。またこの敗北とその後の本部移転の合意を受けて、長年本拠地を置いていたヨルダン国内から追放されたPLOおよびPFLPは、その後暫くの間活動の縮小を余儀なくされた。 さらに、シリア軍のヨルダン侵攻時に空軍機の出動命令を拒否したアサド空軍司令官が、休戦後の11月に軍事クーデターを起こしてアターシー大統領を追放した。その後アサド空軍司令官はシリアの大統領に就任しPLOと対決姿勢を取ったことで、PLOはレバノンへと追いやられることとなっただけでなく、シリアという大きな後ろ盾も失うこととなった。
※この「停戦とPLO追放」の解説は、「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の解説の一部です。
「停戦とPLO追放」を含む「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の記事については、「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の概要を参照ください。
- 停戦とPLO追放のページへのリンク