停年・再雇用
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停年を間近に控えた2020年11月26日、日本相撲協会の理事会で、元関脇・朝赤龍が襲名していた錦島と名跡の交換が承認され、18代錦島として高砂部屋の部屋付き親方となった。元大関以上の再雇用制度利用は史上初。この師匠交代の際に「高砂という重い看板を背負うことになるが、そんなプレッシャーを感じる必要はない。自分を、そして周りを信じてノビノビと指導にあたってほしい。これまで同様、協力は惜しまない」と話した。参与(再雇用)は通例で「生活指導部(礼儀作法教育係)」を担当するが、直近まで役員待遇委員であった元大関であることを考慮されてか、相撲博物館の副館長を務めた。 『FLASH』2020年12月22日号のインタビューでは、角界入りしてから「打倒・北の湖」を目標に掲げていたこと、輪島を打倒すべき目標としていた北の湖とは違う「同じ学生相撲出身者としての憧れ」と位置付けていたこと、1989年3月場所は角番でもなかったが第二の故郷で行われる特別な場所である大阪場所だからこそ引退場所として選んだことなどを語った。引退後に出演した『なるほど!ザ・ワールド』は本人曰く準レギュラーであったとのこと。朝青龍とは「もし、メールを送ってきても、読まずに消すよ!」と絶縁状態であることを示した。部屋を継承した朝赤龍を同インタビューで「(朝青龍と)同じモンゴル人なのに、まったくタイプが違うね。彼ほど、おとなしい人は珍しいよ。とにかく人当たりがいいんだ。親方としてのポリシー?まあ、嘘をつかない、人を騙さないってことですよ。人の生き方とまったく同じだよ」と前向きに評価していた。 『文藝春秋』2021年1月号では師匠退任に際して「現役、指導者としての約40年を振り返ってみて、何か悔いがあるとすれば、やはり横綱になれなかったことです」と吐露した。
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