偕行社『南京戦史』とは? わかりやすく解説

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偕行社『南京戦史』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:50 UTC 版)

南京事件論争史」の記事における「偕行社『南京戦史』」の解説

一方陸軍士官学校卒業生の親睦団体である偕行社は、「一般に定説になりつつある2030万という数字破砕する」ため南京事件取り上げることを決め機関紙偕行』の1983年10月号と11月号で関連情報の提供や協力呼びかけた。1984年4月号から1985年2月号まで畝本正巳による「証言による南京戦史」が11回に渡り連載され過程で、角良晴の証言など不法行為を示す多く証言集まった1985年3月号の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」において、編集部代表して加登川幸太郎が「一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。日本軍シロではないだろう覚悟しつつも、この戦史修史作業始めてきたわれわれだが、この膨大な数字前にしては暗然たらざるを得ない戦場実相いかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量理に弁明言葉がない、旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びしかない」と記した。しかし、この謝罪について偕行社内で反発起き1989年刊行された『南京戦史』では「不法殺害とはいえぬが」「捕虜敗残兵便衣兵うち中国人兵士1万6千、民間人死者15,760人と推定した編集には板倉由明参加した秦郁彦は 偕行社『南京戦史』を(30大虐殺認めない捕虜等の殺害認めたという意味で)「中間派」とした。

※この「偕行社『南京戦史』」の解説は、「南京事件論争史」の解説の一部です。
「偕行社『南京戦史』」を含む「南京事件論争史」の記事については、「南京事件論争史」の概要を参照ください。

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